2024年10月12日、山岳部主将・芦沢太陽(文3)が他大学の山岳部員とともにヒマラヤ山脈の未踏峰・プンギ峰(標高6524㍍)の登頂に成功した。計画から資金集め、交渉、そして遠征までを学生のみで行い、5人で人類誰もがまだ見ぬ山の頂上へ。
インタビューを通し明らかになった、前人未踏の偉業を成し遂げるまでの軌跡を余すことなくお届けする。
(聞き手、構成:今村志歩、齊藤さくら)
▲プンギ峰登頂に成功した芦沢
──日本に帰ってきて体調は整いましたか
「実は向こうで結構体調崩すかなとか、疲れ溜まるかなとか思ってたんですけど、 意外とそんなことなくて。ネパールが意外と過ごしやすくて、ご飯も美味しくて。疲れとかはあんまりこう、大きな疲れはなかったですね」
──山岳部に入部した理由は
「山岳部に入部した理由は何個かあって。これって言った大きな1つの理由っていうのじゃなくて、小さなものが積み重なってって形にはなるんですけど。
まず1つ目が、高校の時に卓球部に入るか、この登山系の部活に入るかで 迷ったんですよ。で、迷って、友達がもう先に入部してた卓球部に入ったんですね。その卓球部で3年間しっかりやりきって、もう俺は卓球いいなって、一生分卓球やったなっていうのがあって。大学入る前に、じゃあ次何にしようって思った時に、そういえば登山選ばなかったけど登山選んでたら俺どうなってたのかな、どういうことをしてたのかなっていうのがすごいふと頭に浮かんで、それでまず山岳部とか登山系のサークルを色々調べたりしたっていうのが 1番大きなきっかけではありますね。
あとは、大学のうちに冒険したいっていうのが あって、冒険できる部活ってなんだろうって言ったら、やっぱり山岳部が1番冒険だなっていう。他の色々な登山系のサークルも見たって言ったんですけど、やっぱり雪山に行くっていうのが山岳部しかないんですよ。 色々な冒険があると思うんですけど、自分は周りに他の登山者が誰もいないような冬山に入っていくっていうのが冒険に近いのかなと思っていたので、自然と山岳部に惹かれたって感じでした」
──山岳部に入る前に登山をした経験は
「もう全くないです。高尾山に登ったことが1回あったかな、ぐらいで本当に登山したことなくて、大学から始めました。 なので登山歴3年ぐらいです(笑い)。これよく驚かれるんですけど、3年で未踏峰に行けちゃうっていうのが、大学山岳部のいいところでもあり、まあどうなのっていうところでもあるんですけど」
──普段のトレーニングは
「いわゆる体育会系の、とにかく走ってとか、筋トレみたいなのは実はあんまりなくて、週に1回、部室で集まって、ロープワークを勉強したりだとか、あとは天気の勉強をみんなで集まってしたりだとか、そういったことを部としてはやってますね。個人的に走ったりとかっていうのはあるんですけど。部としてはそこまできついトレーニングとかは意外となくて、大体月に1回、週末とかに登山に行くっていう形で登山を積み重ねていく中で登山に対する力をつけていくっていう。登山のためのトレーニングって何がいいのってよく聞かれるんですけど、登山なんですよ。登るためにはやっぱ登んなきゃいけない」
▲ロープワークトレーニングの様子
──初めての登山は辛かったか
「体調崩すまではなかったんですけど、めちゃくちゃきつかったですね。今まで何回も何十回も合宿とか山入ってますけど、やっぱ一番最初の合宿、 今考えてみれば全然大したことない1泊2日の遊びみたいな合宿なんですけど、それが3本の指に入るぐらいきつかった。やっぱり最初はきついですね」
──合宿ではどんなところに
「北アルプスに行くことが多いですね。山梨、長野辺りが多いです。あとは富山だったりとか」
──プンギに挑戦するメンバーはどういった形で集まったものだったのか
「中央大学山岳部として所属してる日本山岳会学生部っていう組織がありまして、その日本山岳会学生部、主に首都圏の大学山岳部が月に1回集まって情報交換したりだとか、あとは年に1回、交流も兼ねてマラソン大会やったりクライミング大会やったりっていう組織があるんですよね。その中で、1年半前ぐらいに、青学の今回隊長を務めてる井之上さんから、『未踏峰に俺行きたいんだけど、誰か一緒に行くやついないか』っていうのを定例会でお話いただいて、『これはもう行くしかねえな』と。冒険がしたくて入って、で、本当の冒険ってなんだって言ったら、自分の中では誰も行ったことのない場所に行くっていう、それが冒険だと思ったので、自然と未踏峰っていうのはもう最初からずっと憧れてたんですよ。 なので、その話を聞いた瞬間に、『行くしかない』って思いましたし、同じようなことを思ってたメンバーが5人集まって、今回のチームになったっていう感じですね」
──中大山岳部の中で立候補したのは芦沢さんのみ?
「大体どこの山岳部も今少ないところは本当に少なくて、2人とかいう大学もあるんですけど、今回集まった大学では、 中央、立教、東大、青学の四大学、それぞれ10人ぐらいで。でも、やっぱり部員の中でもモチベーションの差だったりとかが結構あるので、必ずしもみんな未踏峰に行きたいかって言われると、そうでもなくて、今回はたまたま未踏峰に行きたいって思ってたのが自分だけだったっていう感じですね」
──今回の挑戦の中で恐怖心とか不安感とかは
「そうですね。あんまり恐怖とかはそんなになかったですね。 やっぱり危ないところ、1回足滑らせたらもうアウト、みたいなところではあるんですけど、そうならないために国内でたくさんトレーニングを積んできたので、自信というとちょっとあれかもしんないですけど、『やれることはやってきたから、もう自分の力出すだけだ!』みたいな、そういう感じでしたね。 でもやっぱり少しはありましたね。怖さというか、『俺家に帰ってこれるかな、今回はもう帰れないかもしれないな』みたいな。可能性としてはやっぱりあるんで、 家出る前にちょっと部屋をちょっとだけ片付けるみたいな、そういうのはありました(笑い)」
──友人やご家族の反応は
「そうですね、最初はなんか『何言ってるんだ?』みたいなのがちょっとあったんですけど。1年半前に話が出るより前からやっぱりずっと山には行ってたので、『なんか今度はでかい山やるんだね』みたいな。いきなり出た話ではあるんですけど、そこまででいきなり感はないというか、ずっとそういうことをやってきたので、『うん、頑張れよ』って、結構応援してくれましたね」
──世界にある未踏峰の中でプンギって存在がどういった山だったのか
「実は世間であれだけなんかニュースとかで取り上げていただいたんですけど、そんなにすごい山ではなくて、実は(笑い)。 ネパールに6000㍍を超える山っていうのは確か3000以上あって、そのうちの半分以上が未踏峰なのかなっていう感じで。実はたくさんあるんですよ、未踏峰も。ただ、ネパール政府に許可をもらえるかっていうところでは、登れるところはだいぶ限られてきちゃって、数十個あるかなぐらいなんですけど、その中でもプンギは別に特段難しいってわけではないです。
山の中にも色々あって、例えばずっと雪登っていけば山頂まで行ける山とか、途中で岩壁をクライミングしなきゃいけない場所とか、あとは雪崩地形を絶対に通過しなきゃいけない場所とか色々あって。その中でプンギは多分難しいか、簡単かで言ったら簡単な方になるのかな。それこそ6000㍍級の未踏峰って実は無数にあるので。いろんな山がある中で、 どの山なら俺たちの実力でも勝負できるんだっていうところで 5人でミーティング重ねて、いくつかの候補に絞った中で1番有力だったのがこのプンギっていう山ですね」
▲ネパール政府公認での未踏峰挑戦
──皆さん違う大学ですけど、仲はいいですか
「めちゃくちゃいいんですよ実は。喧嘩したりは無かったです。特にヒマラヤ経験がある人に話すと驚かれるんですけど、 大体喧嘩するらしいんですよ。だから仲の良さはめちゃくちゃ大事だよっていうのを出発前に山岳部のOBだとかヒマラヤ経験者に、すごい言われて、口裏合わせてんのかってぐらい(笑い)。それで仲の良さとかチームワークがすごい大事なんだなっていうので、2023年と2024年の間の冬の間に、みんなで集まってずっと山にこもってトレーニングを重ねて。そのおかげか、すごい仲は良かったです。あとは、みんな大学山岳部で同じような世代で、やってることもできることも大体一緒なんですよ。なので『お前、なんでそんなこともできないんだよ』みたいな、 そういった経験の差みたいなのも少ないですし、そういうのは若い同じ世代で組んだチームならではの良さだったんじゃないかなと思ってます」
──休学はされましたか
「そうですね。5人メンバーいて、僕が3年生1人だけで、あとが4年生で、 5人中4人、私含めて休学。なので来年も3年生です」
──隊の中での役割は
「自分は保険を担当してました。やっぱ山の保険ってちょっと特殊で、その中でもこの山岳登はんって言って、 ピッケルとかロープを使うような登山は保険が普通の登山とはちょっと違うんですよ。危険度も高いので、その分別の保険になるんです。登山界隈の保険で行ったら、もうトップクラスにやばい保険、保証範囲も手厚いし、 それに入るしかないんですけど、ただ料金もとんでもない。1人当たり16万円くらいでした。総額100万円か、もう少しかかってるかなくらいです」
──資金はどうやって貯められたのか
「遠征行くって決めてから、少しずつアルバイトで貯めて。あとは各大学の山岳部のOBにお願いして、寄付を集めて。で、派遣母体の日本山岳会の方で、今年の5月ぐらいに定例総会があったんですよ。その時に5人全員でスーツを着て挨拶行って、『こういうことをやるんです、寄付をお願いします』って頭を下げて寄付をもらったりだとか(笑い)。そこが1番大きいですね。あとはお金をもらったわけじゃないんですけど、 いろんな企業に協賛としてもらって食べ物だとかをいただいて、少しでも節約しようって色々削っていきました。今年の頭まで普通にローソンでアルバイトしてました」
──準備の中で特に大変だったのはどんなことですか
「冬のトレーニング、さっき富山によく行くって言ったんですけど、富山に剣岳っていう2999㍍のすごい海から近い山があって、日本海の湿った空気がその山にぶつかって、雲ができるからものすごい雪が降るんですよ。そこでの合宿が1番きつかったですね。
積雪量で言ったら、多分日本一どころか世界一ぐらいあるんじゃないかなっていうぐらい、本当に深いところだと10㍍とか積もってるんですよ。なので、その雪をかき分けながら、 30㌔の荷物を背負って進んでいくっていうのがすごい辛かったです。天気は良かったので、まだ良かったんですけど、いかんせん積もってる量がとんでもないので。 ひどいところだと、頭の上の雪をかき分けながら、スコップで崩しながら進むんですよ。逆に埋もれてしまうリスクもあるので怖いんですよね。雪が増えると雪崩のリスクも高くなってくるんで、 できるだけ雪崩そうな場所には行かない、雪崩そうな状況では動かないっていうのを徹底しなきゃいけないし、あとは天気。その時は最初から最後までいい天気で終われたんですけど、1回天気が崩れちゃうと1週間とか吹雪いてとても身動きが取れなくなっちゃうので、天気にも気を配りつつっていう。肉体的にもきついですけど、精神的にも結構プレッシャーがかかってきますね」
──今回学生だけで絶対に行くんだ!みたいなこだわりはあったのか
「やっぱりこう、自分たちの手でやりたいっていうのはみんな共通して思っていて。っていうのも、大体ヒマラヤとか海外の山に行くってなると、 大体OBが着いてきてくれて。で、隊長やったりしてくれるので、現役生はそれについていくのが一般的なんですよね。もちろんOBは経験豊富ですし、いた方が多分成功の確率は高いんです。ただ、それは自分たちの手で冒険したと言っていいのかっていうのを考えた時に、やっぱり自分たちの手でやりたいっていうのがこだわりの1つでした」
──学生のみで未踏峰の前例は
「あんまり話題になってないとは思うんですけど、同じ日本山岳会学生部 でも数年おきに登山隊が結成されてて、意外と成功してるんですよ。ただ、やっぱり世界的に見ると少ないのは間違いないです。 そもそも若い人はあんまり山登らないので。今回ヒマラヤに行ってすごい肌で感じたのは、結構年配の方が多いこと。同世代の若い人たちもあんまり山の中っていうか、山に行く中のトレッキングルートで見なかったんです。隣にすごい有名で人気な山があるんで、一応人は近くにはいるんですけど、若い人はあんま見なかったです」
──プンギに挑戦するにあたってこれが1番大事だと思ったことは
「やっぱりチームワーク。やっぱりプンギだからってわけじゃないですけど、ヒマラヤってすごい時間がかかるんです。今回2ヶ月で長い方なんですけど、少なくとも1ヶ月は絶対にかかるんですよ。その間、日本出てから帰ってくるまでずっと一緒にいるので、やっぱり仲が良くないと多分すごい大変だと思います。今回は本当にいいチームで、最後まで登頂できて本当に良かったです」
▲未踏峰挑戦にはチュー王子の姿も
──プンギの地形について
「途中まではすごい簡単というか、特段難しい場所はないんですけど、この南方6342㍍、こっちも未踏峰なんですけど、この直下にアイスフォール帯って言って、氷河が崩壊して積み重なったじゃないですけど、すごい不安定な場所があって、もう氷の塊がキノコみたいに積み重なってて。その間にクレバスっていう氷の割れ目、これも落ちたら助からないような、多分10㍍か20㍍ぐらいはあったんじゃないかなって思うんですけど、これが出てくるのは想定してなくて、実際上行って、これが出てきて絶望するっていうのがありました。これが出てきた時はもう終わったなって思いました。 結構、アイスフォールとかクレバスに阻まれて撤退とかってよくあることなんですよ」
──6100㍍までは前回の遠征隊が登っていましたが
「そうですね。2年前に同じ日本山岳会のまた別のチームが行ってたんですよ、6100㍍まで。で、その上の6200㍍ぐらいでこれが出てきて、 情報がなかったんですよ。なので『ああもう終わった』みたいな(笑い)。しかもその日はもう14時間ぐらい登ってたので、もうヘトヘトで、早くテント立てて休みたいなっていう。でもこれ明日に取っておいたらもう今回のアタックは失敗するねってなって、 テントを立てる班と偵察に行く班に別れて、なんとか抜け道を見つけて進めました。
それを超えると、稜線があるんですけど、ここもまた厄介というか、ここが1番厄介でしたね。 真ん中ら辺までは普通に歩いていけるんですけど、そこからロープ出して、懸垂下降っていう、なんか消防士がスーって降りてくるようなやつをやらなきゃいけないところが1箇所出てきて、そこからはもうナイフリッジっていう、雪の尾根が風で吹かれてナイフみたいな稜線になってるのがもう山頂の本当にちょっと手前までずっと続いてて。
ここが今回、このプンギの中で1番難しかったというか、苦労した場所ですね。歩く幅は場所によってはもうほんとに平均台くらい。その上を絶対に落ちないように。ロープはもちろんつけてるんですけど、ちゃんとした地点、 ゲームで言ったらセーブポイントみたいな、ロープをちゃんと固定しておく場所を作りながら行くんですけど、 やっぱ雪しかないので。岩だったらちゃんと鉄のくさびを打ったりとかして強固なものが作れるんですけど、雪しかないとあんまり強いものが作れなくて、いや、これ落ちたらやばいな、 もうロープごと全部吹き飛んで落ちちゃうなみたいな、そういうところもすごく慎重に行きました。そこが1番怖かったです。1人1人でロープ繋いで、誰かが落ちたら反対側に飛び込むみたいな、そういう方法もあったりはします一応。 落ちたら絶対死ぬってわけじゃないけど、だいぶ危ない場所だったんで。でもここに関しては地形図見たり、2年前のヒマラヤキャンプ隊からもらった写真を見て、多分ナイフリッジになってるだろうなっていう想定をしていて、もちろんそれに向けてのトレーニングを積んでましたし。だからですかね、そこまで恐怖はなかったです。あとは、もう目の前に頂上があるので、やっぱテンション上がっちゃって、あんまり良くないのかもしれないですけど恐怖を感じないというか」
──大体かかった時間はどのくらいでしたか
「ファーストアタックの時とセカンドアタックの時でだいぶ時間は違ったんですけど、ファーストアタックの時で大体真ん中ぐらいまで行ったんですね。そこまでで大体6時間ぐらいかな。セカンドアタックの成功したときは、もう前日のうちに真ん中まで来ちゃって、翌日に頂上行って帰ってくる感じで、頂上までの半分は、それも6時間ぐらいですかね。 やっぱロープを出していかなきゃいけないし、5人同時に動くってわけにもいかないので、すごい時間はかかります。
大体距離にしてこれ全部で1.3㌔ぐらいかな。もっと人数少なかったり、実力があったりしたらもっとさっといけるんですけど。さっきヒマラヤの中では簡単な方だって話はしたんですけど、それでもやっぱり今まで行った山の中では だいぶ難しい方だったというか、多分1番難しかったんじゃないかな、と技術的には思います。天気が安定してたので、それはすごい登頂のためにすごい重要な要素ではありました。助けられましたね」
──標高による環境の変化について
「大体3500㍍ぐらいから大きな木が無くなって、いわゆる森林限界、 日本だと、場所にもよりますけど、大体2000㍍から2700㍍ぐらいの間にあるんですけど、向こうは緯度が低いのでちょっとあったかい分3500㍍ぐらいかな。そこで大体森林限界が来て、そこから上はあんまり変わんないかな。酸素はどんどん薄くなっていって、6000㍍で大体地上の半分くらいではあるんですけど。でも1番ここが区切りだなと思ったのは、雪が出てくるか。 今回は5500㍍ぐらいから安定した雪が残ってたので、環境の変化としてはそこが1番大きかったかな。気温は思ったほど低くなかったなっていうのがちょっとあって。今回1番多分寒かった時で、マイナス20度ぐらいだったんですけど、もっと寒くなるんじゃないかなと思ってたので。 マイナス20度って日本でもめっちゃ冷えると行くんですよ、山の中で。なので思ったよりだったかな。 ただ、寒暖差がすごいです。4700㍍でベースキャンプを建てていて、そこでの話になっちゃうんですけど、昼間は半袖短パンとかでいけるんですよ。でもちょっと日が陰ると途端に寒くなって。で、夜なんかは昼あんなに暑かったのに、着れるものほとんど全部着て、冬用の寝袋に入ってやっとあったかい、みたいな。やっぱそれは上でも同じで、朝はもうマイナス20度近いんでみんな凍えてるんですけど、昼になると日が当たっちゃってすごい暑くて汗かいちゃう。ヒマラヤの難しさは寒さじゃなくて寒暖差なんだなってすごく感じました」
──GPSなどはつけて行きましたか
「GPSを一応持ってってました。ただなんか あんまり役に立ってないというか、なんかずれてるんですよ(笑い)。あと純正の地図じゃなくて、ネットに転がってるフリーの地図をダウンロードしていったんですよ。純正の地図は値段高いので、フリーのでも大体一緒なので。ただそれと機械の相性が良くなかったのか、なんかちょっとずれてて、 あんまり役に立たなかったです(笑い)。ただ、やっぱりずっと地形図とか写真を見てイメージトレーニングはばっちりだったので、その地図を確認する機会が無かったです。頭の中にだいぶ入ってて、周りの景色見て今ここだなって。これはやっぱり山岳部での合宿でも同じことをやってて。合宿に行く前に地図見て大体覚えて、白紙の地図に地図を見ないで自分で書くっていう。その山の概念、どこにどんどん尾根が伸びてて、どこにこの山があって、どこに沢があって、みたいなのを全部頭に入れてから合宿に行くんですよね。その訓練がやっぱり生きてきてました」
▲登山に挑む前の遠征隊の様子
◇芦沢太陽(あしざわ・たいよう)◇
学部学科:文学部・人文社会学科
身長・体重:171㌢・61㌔
出身高校:所沢西高校
【後編は12月3日公開予定です!】
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