本紙9月号「人生いろいろ」のコーナで福岡県知事の服部誠太郎氏にお話を伺いました。1時間にわたる取材から、紙面には載せきれなかった部分も含めて余すことなく掲載します。
<服部誠太郎氏プロフィール>
はっとり・せいたろう
昭和29年9月11日生 福岡県出身 法学部卒
大学卒業後、福岡県庁に入庁し、財政課長、福祉労働部長、副知事などを歴任。2021年4月、前知事の病気辞職に伴い行われた福岡県知事選で初当選。今年4月から2期目を迎えている。

▲取材に応じてくださった服部知事
祖父の薦めで中大入学へ
──中央大学に入学を決めたきっかけはなんですか
「大学進学を考える時に、祖父が1番勧めたんですね。何学部に行きたいか聞かれて、法学部かなと答えたんですよ。そしたら『法科なら、中央に行ってまじめに勉強しろ』と。もちろん自分の意思も必要なんだけど、僕らの頃は今みたいに情報量が多いわけでもなくて、それは大きな後押しでしたね。祖父の期待には沿えなかったけど(笑い)」
──法律家になろうとしていたのでしょうか
「中大の法学部を選んだからには、ここは1つ司法試験をとは思いましたけどね。真面目に勉強しなかったんで無理でした(笑い)」
これからの日本を語り合った学生時代
──学生時代に将来は政治の世界にという思いは
「いや、特別にそういう強い目的意識があったわけではないんです。先日も、インターンシップで来られる高校生とか大学生の皆さんにも話したんだけど、自分がどういう職業に就こうとか、学生時代にそんなに明確に思っていたわけじゃないです。
ただね、やっぱり我々の頃って学生運動の名残りというか、まだまだ、学生にある種の熱さが残っていましたね。これからの日本をどうしていくんだと議論をしたり。青臭い話だけど、僕らも酒を飲みながら日本の将来について夜明かしで語り合っていましたね」

▲学生時代は、よく東都野球を応援に行っていた
──大学の授業で印象に残っていることはありますか
「刑事訴訟法の先生が厳しくて(笑い)。必修だけど、半分以上落ちるっていう先生で。 ”刑訴は落ちるな”とみんなが恐れていました。それが、たまたまヤマ勘が当たって、勉強したところが出て(笑い)。ゼミは親族相続法でしたが、模擬裁判の中で、同期の女性から『あなたは人を本当に愛したことがないのよ』といわれなき非難をされたり、楽しい記憶として残っていますね」
アナ研で鍛えた発声
──部活動、サークルに所属されていましたか
「アナウンス研究会。アナ研に入っていました」
──それはなぜ
「当時は、今の多摩のように広大なキャンパスではなくて、狭い駿河台でしたからね。だからグラウンドがなかったんですよ。そうすると、スポーツをしようとなると、例えば練馬グラウンドまで行かなきゃいけないので結構大変でした。 それで、どうするかなとキャンパス内を歩いていたら、『アナウンス研究会に興味ない?』と先輩から声をかけられて。突然、興味があるかないかと言われてもね(笑い)。フラフラとついて行ったのが運の尽きでした(笑い)」
──アナウンスをされていたんですか
「まあ、アナウンスと言ってもほとんどは発声練習でした。校舎のベランダから、あ、え、い、う、え、お、あ、お。これをみんなで毎日繰り返していました。あとは、早口言葉。少し慣れてくると、他の大学の音楽サークルの発表会の司会を頼まれてやったりして、面白かったです」
東都野球の観戦にも
──学生時代、中央大学のスポーツはどのように見られていましたか
「我々の頃はやっぱり、野球や男子バレーが人気でしたね。東都野球には、よく応援に行ってました。巨人で活躍した江川がいる法政と中央が、明治神宮大会で決勝戦をやって。1-0だったと思うけど、勝ったんですよ。その時、神宮から御茶ノ水の駿河台まで、提灯行列をして帰ってきたことがあります。学長がみんなにお酒を振る舞ってくれて、祝勝会を中庭でやりました。あれはよく覚えていますね」
──その中で、Uターン就職で福岡に帰られる決意をしたのはなぜ
「4年生の時でしたが、さっき話した祖父の親しかった方が国会議員をされていて、永田町でその方の学生秘書みたいなことをやらせてもらいました。日本をもっと良くしていきたい、そのために我々はどう行動すべきかなどと友達と漠然と話をしている中で、政治の世界もちょっと覗き見させてもらった。
そうすると自分の中で、世の中とか、故郷のためになるような仕事をしたいという思いが強くなって、福岡県庁の試験を受けました。我々の頃は、第2次オイルショックの影響で就職難だったんですよ。そういう時代って公務員は人気が高くなります。すごく倍率が高くてこれはダメだろうなと思っていたら、なんと合格しました(笑い)。民間の内定もいただきましたけど、これもまあ天命かと思い、福岡に戻って仕事をやろうかなとなりました」

▲人とのつながりの大切さを語る服部知事
──知事になられて、大学時代の経験が生きていると感じる場面はありますか
「大学4年間で、いろんな人たちと遊びも含めていろんな活動ができました。サークルもそうだし、中央大学の友達に限らず、一橋大の友達、議員秘書の先輩、男女問わずいろんなところで知り合って、語り合い、いろんな経験ができた。これは、自分の価値観の基礎になっているように思いますね。世の中にはいろんな人がいて、いろんな考えがある、主張がある。これを肌で感じることができた。
それと、親に学費を出してもらえたからこそ大学に行けたんだけど、これはありがたいことだと思っています。たまたま僕、田中角栄先生とお会いすることがあって、二人でお話しさせていただいたことがあるんです。田中角栄先生が、『君、大学はどこだ』と言われるから、『中央大学です』と。そしたら『中央なら法科か』と言われて、『法科です』と。『お、そうか。君ね、親に感謝したまえよ。俺だって大学に行きたかったんだ。でも、実家の経済状態が許さなかった。しかし、自分はそれを恥じてもいないし、恨んでもいない。むしろ、こういう丈夫な体を作ってもらって、育ててもらった親に感謝をしている。君の場合はさらに、大学の学費を払ってもらって、東京での生活費も要るだろう。そういうことを親御さんがしてくれていることについて、俺の倍ぐらい感謝をせないかん』と言われたんです。今でも覚えています。
大学に行かせてもらって、いろんな人たちと知り合うことができました。金は無くても時間はある。いろんな経験ができるのは大学生活の大きな価値ですよね。かけがえのない時間を過ごさせてもらえたことは、本当にありがたいことだなと思っています」
福岡県知事に。「県に背を向けるわけにはいかん」
──知事になろうと思ったきっかけは
「福岡県は非常事態だったわけです。皆さんも高校生ぐらいから大学の前半ぐらいまでは、新型コロナで思うようにクラブ活動もできなかったんじゃないですか。コロナで有名人の方もお亡くなりになりました。福岡県民も、みんなが、コロナと死というものが隣り合わせで恐怖を感じていた時代。そういう時にね、副知事としてずっと仕えてきた前知事が病気で倒れられて、お辞めになることになりました。
そういうまさに非常事態の中で、県民の皆さんに、県の行政に背を向けて逃げるわけにはいかんと。やっぱ俺がやらないでどうするかと。そういう思いで県知事に立候補しました。当選させていただいて、コロナの非常事態の中で、もちろん県民の皆さんの命を守るんだという思いで取り組みましたし、同時に、福岡県を発展させていく取り組みも当然やっていかないかんと思っていましたが、コロナでなかなか思うにまかせなかった。ようやくいろんなことができるようになったのは2年ぐらい経った後でした。そうすると、残りの任期はあと2年しかありません。次の選挙に向けてどうするかは、半年ぐらい前にはもう考えなきゃいけない。その時に、やっぱり自分として、この福岡県をさらに発展させていくんだという「夢」がまだまだ実現できていないと思ったんですね。もっと福岡県を前に進めたい、もっと花を咲かせたい。この強い思いがあって、2期目も立候補しました」
──知事という県政のトップに立たれている中で、服部知事が大切にされていることは
「選挙の時にもずっと言っていますが、県政を進めるにあたって何が一番大事かというと、県民の皆さんをど真ん中に置いて、何をなすべきなのかを必死で考えることです。子育て、医療、雇用、教育といろいろな行政サービスの客体って県民なんですよね。生身の県民。我々行政っていうのは、ちょっと言い方が悪いかもしれないけど、サービスを提供する側の論理になってしまいがちです。いろんな角度から見て、県民の皆さんが何を求めているのか、行政は県民の皆さんのために何をなすべきなのかを考え抜く。これを大事にしていますね。
その上で、知事は、決断をしなければいけない。トップである以上は、決めなきゃいけない。ああだこうだと、議論百出の場合もありますから。そこで決断する勇気を持つということですね。
もちろん、職員の皆さんや関係する皆さんの意見、いろんな意見をお聞きします。それを聞き分けて、最後は責任をもって決める。これがリーダーに求められることじゃないですかね。そして、決めた以上はその方向に向かって、職員を鼓舞して一緒に進んでいかなきゃいけないし、県民の皆さんにも呼びかけなきゃいけない。県民の皆さんに同じ方向を向いて歩んでもらう。このために力を発揮することが、政治家たるリーダーたる知事の仕事だと思っています」
みんなが笑顔で暮らせる福岡県に
──服部知事がお考えになる理想の福岡県は
「一言で言えば、みんなが笑顔で暮らせるということです。笑顔で暮らせるってことは、やっぱりいろんな心配がなくて、安心できるってことですよね。子供も大人もお年寄りも笑顔で暮らすことができるまちをつくることができれば、それが全てを表してるんじゃないかと思うんですよ。
教育、福祉、他にもたくさんのやらなければならないことがあって、行政の施策だけで全てをカバーすることは難しいですが、みんなが笑顔で日々を送っていけるような県をつくることが究極なんじゃないかなと思いますね。
それと同時に、福岡県には大きな責任があります。九州の中で、人口もGDPも4割近くを占めています。福岡県はやっぱり九州のリーダーたる役割を果たして、日本を引っ張っていかなければならない。九州から世の中を変えていくんだという気概を持たないかん。だから我々は、それができる力のある県に、この福岡県を育てていかなきゃいけない。産業経済の面においてもそうです」

▲紙面を手に笑顔の服部知事
──今の若者に向けて。将来をどのように生きていってほしいか
「新たな物事を生み出し、イノベーションを起こすのは、結局「人」ですよね。やっぱり人こそが礎なわけですよ。AIも人がつくったものですよね。だから「人」を育てるということが、全ての基礎として必要だと思っています。だから、僕の政策の中で1番最初に掲げているのが、「人こそ財(たから)」、人を育てるんだと申し上げています。
そういう中で、大学生の皆さんをはじめ、若い皆さんに贈りたいのは、「自らの内にある無限の力を信じろ」という言葉です。若い時にはいろいろ悩んだり、鬱々とする時があるじゃないですか。私もそんな高校時代に、先輩から頂いた言葉です。僕は今も座右の銘にしています。どんな有名な人が言った言葉なのかは、よくわからないんだけどね(笑い)。
その先輩は、それ以上のことは何もおっしゃらなかった。でも、この言葉で、努力をしろと言われたんだと思います。うじゃうじゃ言ってねぇで、とにかく努力をしろと。努力を続けてこそ、初めて自分の中の力を引き出せる。努力もしないでうだうだ言ってても自分の力は発揮出来ないんだよと、この言葉で僕に教えてくれたんだと思っています。
無鉄砲に自分の力を信じろということではなく、日々の努力があってこそ初めて無限の可能性が引き出せる。だから努力しなさいということを教えてくれた、この言葉を若い人に、中央大学の後輩の皆さんに贈りたいですね。
日本って、失敗を認めない風潮があると思うんですよね。今でも。でも、世界的なスタートアップで成功した人たちも、初めての挑戦でいきなり成功したわけではなくて、失敗して、失敗して、10回失敗して、11回目で成功したような人がいっぱいいるわけです。
だから我々大人は、失敗を認める社会をつくっていかなきゃいけないし、若い人達は失敗を恐れずチャレンジしてほしい。必要な時はレールを乗り換えればいい。終着点は一つだけではないかもしれません。自分の可能性を信じて挑戦してもらえたらいいなって思います。そうしたら、明日が開けていきます」
福岡でも盛んな中大同窓会
──今でも中大のことは気になりますか
「そりゃそうですよ。福岡でも白門会の同窓会活動はとても盛んです。先輩方といろいろ交流できるように、懇親会は立食で行きましょうよって若い人たちから提案があったり、非常に活発ですね。最近は20代も増えてきています。そして、集まると、やっぱり駅伝とか野球の話になります(笑い)。みんな、母校に頑張れという思いは熱いですよ。ぜひ、各スポーツ部、そしてアナウンス研究会にも頑張ってもらいたいですね(笑い)」
──駅伝シーズンも始まります
「楽しみですね。去年もいい走りをしていましたし。以前、青学の原監督とお話しする機会がありましたが、『駅伝は、走るのは1人ずつだけど、互いにカバーしあって助け合うチームの力が大切だ』と仰ってたんですよ。なるほどなあと思いましたね。チームのみんなが頑張っている姿を見て勇気づけられて、自分を奮い立たせるからこそ普段以上の力を出せる。だから『箱根で襷(たすき)を繋ぐのは、チームとして繋ぐという意味が強くある』と仰っていました。まさにそうですよね、我々もチームで仕事をしています。その中で自分の個性を発揮しながら、もっといいチームを作るためにみんなの力を、思いを一つにしなければならないですよね」
──中大生へのメッセージを
「僕からしたら、中央大学の学生は、もっとはっちゃけてもいいと思うんですよね(笑い)。中央の真面目で手堅いというイメージは素晴らしい伝統カラーだけど、もっと自分の可能性を信じて「はじける」人がいてもいいし、もっとチャレンジしてほしいと思います。
例えば、中大で法律に強い人、財務に強い人、技術に強い人がうまく機能しあってスタートアップ企業を生み出すとか。確か2027年には、スポーツに関する新しい学部ができますよね。大学も学生も、どんどん新しい挑戦をしていったらいいなと思います。
学生の皆さんには、4年間でたくさんの人と出会って、人を好きになって、若い時だからこその体験もして、自分の可能性を信じてチャレンジを続けてもらいたいですね。全力で応援しています」
気さくに話していただき、中大トークに花が咲きました。ありがとうございました。

▲部員と記念撮影
(取材・構成:松岡明希、紀藤駿太、波多江紗希、樋口有花)
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