関東学生連合チームとして箱根駅伝を目指す学生と監督の奮闘を描いた『俺たちの箱根駅伝』。その著者である池井戸潤氏、そして早稲田、慶応、立教、大東文化、中央の各スポーツ新聞部を囲んで、千代田区紀尾井町の文藝春秋にて取材会を行いました。小説に関すること、池井戸氏の経験など、貴重なコメントの数々をいただき、まだまだ未熟な我々にとって有意義な時間となりました。ここではその取材会でいただいたご回答の一部を抜粋して公開します。(取材会は11月8日に行いました)
(聞き手:大畠栞里、大日方惠和、土屋日向 構成:大日方惠和)
▲池井戸潤氏(中央)とスポーツ新聞部記者一同(文藝春秋社提供)
──社内政治をモチーフにした作品を多く執筆していますが、小説のスタイルを決めていく上で大事なことはありますか?
池井戸氏)小説は、珍しくないとだめだと思うんです。作家に必要なのは「文章がいかに上手いか」と思われがちだけど、実は一番必要なのは「オリジナリティ」だと思っています。その人にしか書けないテーマであるとか、独特な世界観を持っているとか、「他にない」特徴を持っているのは、小説にとって最大の武器になるんです。そういったオリジナリティを提供できるかどうかが、小説の勝敗を決める、評価を決する大きな要因になると思います。多くの作家が警察小説や恋愛小説を書いているけど、きっとそれぞれ何らかの特徴があるはずです。
小説の公募新人賞の応募作で、すごく上手だけど落ちる作品がある。選考委員を務めるとわかるんですけど、たとえば京極夏彦さんのファンが妖怪物を書いて応募したとする。原稿はよく書けているんだけど、「でもこれって京極さんの世界観だよね」となると、その作品の完成度がいかに高くても、賞は取れない。なぜならもう京極さんがいるので。
作家を目指すなら、まずは自分にしか書けない、オリジナリティある分野やテーマを見つけること。それが何より編集者から求められていることだと思います。もしそのテーマが「珍しい」と言われるなら、それは「他に書かれていない」ということなので、チャンスです。僕も、そういったテーマをいつも探しています。
──箱根駅伝をモチーフに執筆されたと思いますが悩んだ点はありますか?
池井戸氏)実は、テレビ局サイドの話を書きたかったんです。もう10年以上前の話になりますが、日本テレビの箱根駅伝・初代プロデューサーの坂田信久さんと出逢い、どうやって企画を通したのかという話を伺いました。その後、日本テレビさんにお願いして、スタジオの中や中継の様子を見学させてもらいました。
その一方で、駅伝が舞台であるわけだから、学生サイドの話を書く必要はもちろんある。しかしそこで、構想が長い間ストップしてしまったんです。なぜ書き出せなかったかというと、どのチームをメインに描けばいいのかわからなかったから。
たとえば早稲田大学を舞台にしてチーム内の軋轢やライバル関係を書くことは可能だけれど、早稲田には実際に競走部があり、真剣に箱根をめざしている学生たちがいる。自分たちのチームを舞台にして、勝手に面白おかしく描いたエンタメを彼らがどう思うか。たぶん不愉快だろうし、一生懸命努力して頑張っている選手たちの邪魔をすることになる。この小説は、箱根駅伝や選手たちに絶対的なリスペクトを持って書く必要があると思っていたので、実在する大学を舞台にすることには躊躇がありました。
でも、数年前の正月に箱根駅伝を見ていて、答えを見つけた、と思った。関東学生連合チーム(以下、学生連合)を舞台にするなら書ける、と。学生連合の選手たちはいろんな大学から来ているし、チーム内のいざこざを描いても、彼らなら気にしないでくれるはず。そうだ、学生連合を舞台にすればいいんだということに気づいて、ようやく書き始めることができたんです。
読者によっては、テレビ局パートが邪魔だと思う人がいるかもしれない。でも、テレビ局の一社員として、正月の二日と三日の、あれだけ長時間かかる企画を通すのは、本当にすごいこと。もし番組が大ゴケしたら、どこかに飛ばされる可能性だってあった。それはとても面白いストーリーなので、ぜひ書きたいと思いました。
──登場人物の名前はどのように決めて、また工夫していますか?
池井戸氏)名前はめちゃくちゃ大事です。たとえば悪いやつに、白石さんや白鳥さんといった優しげな名前は使わない。必ずその登場人物のキャラクターに合わせた名字を選ぶようにしています。下の名前は、年代によって変わりますよね。たとえば選手がいま20歳だとすると、生まれたのは2004年ということになるので、その年に生まれた男の子の名前ランキングを調べるんです。また、箱根駅伝の選手は、おそらくご両親が陸上競技をやっていたのか、馬や駿、翔など、いかにも足の速そうな漢字を使った名前が多いですよね。そういうことを考えながら名前をつけていきます。僕の小説は登場人物の数が多いので、名前を考えるのは本当に大変です(笑)。
──小説を書く上での信念
池井戸氏)僕がいつも意識しているのは、「登場人物が50人いたら、50人の人生がそこにある」ということ。彼ら全員の伝記を書くつもりで小説を書いています。様々な出来事は、その50人の人生を束ね、その出来事が起きた時点を輪切りにして書くイメージです。
小説にとっての傷は、誤字脱字などではない。小説にとっての真の傷は、キャラクターの破綻です。自分が感情移入し応援してきた登場人物が、それまで書かれてきた行動と真逆のことをしたら、読者は違和感を覚え、話に入り込めなくなってしまいますよね。たとえば、「優秀でとても慎重な人」という設定のはずなのに、なぜかうっかりミスをして、わざわざ手掛かりを残したりする。それがキャラクターの破綻です。なぜそんなことが起きるかというと、よくある理由は、最初に作ったプロットどおりに話を進めようとするから。プロットに従って都合よく登場人物を動かしてしまう、それこそが小説の傷なんです。
僕は、小説に出てくる登場人物は、実際に存在すると思って書いています。この人なら必ずこうする、こう言うと思いながら書いているので、たとえ途中で筆が進まなくなっても、キャラクターに合わない行動は絶対にさせない。書き始める前に考えたプロットどおりではなく、その人物のキャラクターどおりに書いていけば、必ず突破口は見つかるはずなんです。
作家にとって一番の恐怖は、作品が終わらないんじゃないかということ。作者が書けなくて困っているシーンは、実は、読者にとっては面白いシーンだったりします。「これからいったいどうなるんだろう」というシーンは、読者がそう思うのは当然で、実は作家もどうなるのかわからず困っている(笑)。それでも、そこから先の展開を考えるのが作家の仕事なんです。
▲「50人いたら50人の伝記がそこにある」と信念を語る池井戸氏