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【もっと人生いろいろ】フェンシング・力武優斗氏 ロス五輪でメダル獲得へ「もっと強くなる自分に注目して」

本紙4月号「人生いろいろ」のコーナでフェンシング選手の力武優斗氏に(令6卒・現ミキハウス)にお話を伺いました。1時間以上にわたる取材から、紙面には載せきれなかった部分も含めて余すことなく掲載します。

<力武優斗プロフィール>
りきたけ・ゆうと 平成14年2月24日生 大阪府出身 文学部卒
競技開始当初はフルーレも、高2年時からサーブルに転向。中大入学後も数々の大会で結果を残した。また、大学4年時からミキハウスとスポンサー契約を結び卒業後に入社。2028年のロス五輪出場を目指している。

たまたま始めたフェンシング

──フェンシングを始めたきっかけは

「きっかけは、本当たまたまで。元々テニス部とかバスケ部とか、メジャーなスポーツをやろうと思っていたんですけど、中学がマンモス校やったんで。先生との面談の時に『入っても玉拾いとかそんなのしか最初できない』って言われて悩んでいたら、親に『フェンシングかっこええやん!』って言われて。『フェンシングなんて白いの着て嫌やわ』なんて言ってたんですけど一回見学行ってみたら、マイナー競技なんで逃がしてくれなくて、最初は嫌々始めたって感じですね」

▲幼少期の力武氏

──ご両親は運動経験者だった?

「剣道やってました。剣を持ってるっていう共通点で『ええやんええやん』って」

『頭』がカギのフェンシング

──競技にのめり込んだ理由は

「今まで水泳とか野球とかやってたんですけど、やっぱり小学生は体動かしてなんぼっていうところはあったんです。けどフェンシングって、どれだけフィジカルがあっても勝てないんですよ。それプラス『頭』の部分が大事で、なんならフィジカル以上に大事で。そこで初めてスポーツの深みに触れて、気づいたらのめり込んでいたみたいな」

▲幼少期は野球をしていた

──サーブルを選んだ理由は

「フェンシングって3種類(サーブル・エペ・フルーレ)あるんですけど、サーブルが1番ダイナミックなんですよ。1番迫力があるスポーツで。元々高校2年生くらいまでずっとフルーレやってて、自分元々足とかスピードには自信があったので、たまたまサーブルの試合出たら、ポンと上行って。U17の日本代表にするする入って『あれ、センスあるんじゃね?』って始めましたね。僕にはサーブルが1番合ってましたね」

▲中学生時代に初めて試合に出場した

通信制高校に編入し、フェンシング修行

──高校は通信制に通われていたが

「ややこしくて。中学校から中高一貫校に行っていて、高校2年生の段階でその学校じゃ実力アップの上で環境とか色々限界が来ちゃって。高3から1年間だけ、通信の学校行ってたんですよ」

──通信制のメリットは

「元々フェンシング部が強く中大に入りたくて。そこ(中高一貫校)は大阪やったんですけど、監督のつてとかもあるし、環境とかも中大に入るような実力じゃなかったから、そこからはいけなくて。なら修行じゃないけど、1年間どっぷりフェンシングやって、行けたらいいなって感じで行きましたね」

▲フェンシング漬けだった高校時代

──フェンシングでの関西圏進学は視野にはなかった?

「関東リーグと関西リーグの差が凄くて、関東の方がすごく強くて。インカレとか、ベスト64から始まってベスト16に残る関西の選手なんてほぼいないみたいな。それくらい実力差があったので、僕はそれを見てやるなら関東でしょと。関西やったらもう辞めるわくらいの感じでしたね」

▲関東圏への進学を目指した高校時代

大スター集う中大へ

──中大進学の理由、なぜ入りたいと思えたのか

「大阪に住んでた時に、中大の練習に何回か行かせてもらってて。その時の先輩たちは、JOC優勝・インカレ優勝とかそんな選手ばっかりで。中3とか高1とかの自分たちからしたら大スターで、シンプルに憧れましたね。めちゃくちゃ。ここでやりたいって」

──中大は有名選手が多い、その要因は

「中大って少数精鋭なんですよね。日本で1番、部員取る人数少ないんですよ。けどみんな強い。中大にはサーブルのコーチがいなくて、先輩からの伝承で『中大のサーブルとはこうだ!』みたいなのもあって、コーチがあまり顔を見せられない分、自分達で考えてやらないといけないというのが全員強くて。ある意味逆に自主性に富んでるというか、そこが強みかなと思います。後、みんな寮なので団体戦とかのチームワークとかもめちゃいいですね」

▲念願の中大フェンシング部に入学(中段右から2番目が力武氏)

コロナ禍の大学時代

──大学入ってすぐコロナ禍、影響は

「やっぱり練習ができないっていうのが1番きつかったですね。これから、日本代表になったりとか、大学で日本一になったりとかするために入学したのに、まず練習がそもそもできなかったので、そこが自分の中ではストレスというかきつかったところはありますね。あと、最初は寮生活やったんで毎日の朝掃(朝掃除)から始まって『何してんねんやろ?』って。ずっと寮いるんで、外に出たらダメやったんで。それがずっときつかったですね」

──授業はどうだったか

「最短距離で卒業しましたね(笑い)でもやることはやってたんで、卒論も書いたし。気づけば卒業してたんですけど、ちゃんと授業とかは行ってましたね」

──卒論のテーマは

「フランス語専攻やったんで、フランスがちょっとかかればいいっていう制限付きやったんですけど。僕書いたのは『スポーツと人種差別』っていうのを書いてて。今の時代、フランスは柔道、アメリカならメジャーとかもそうですけど黒人選手が多いじゃないですか。昔は白人スポーツやったんで、黒人がいなかったんですよね。で、黒人選手がどうやって白人スポーツに進出していったかみたいなのを書いて。どうやったら人種差別って無くなるんだろうっていうのを最終的な着地点において書いてましたね」

▲『スポーツと人種差別』で卒業論文を書き、卒業した

──フェンシング以外での大学の思い出は

「サークル入ってなかったんで、友達がめちゃ多いってわけではなかったんですけど。文学部って、大教室の授業がほとんどなくて全部少人数とか中教室の授業ばっかりだったので、そういうので友達を作れたのは良かったと。今でもよく遊びに行ったりするので、それは良かったと思います。ゼミとかでその子らと一緒にやったりしてたんで」

──大学時代1番楽しかったことは

「試合で勝つこととかが1番楽しかったですけど、友達と色々遊びに行ったりしたこととかも」

JISSと寮生活

──寮生活の思い出

「先輩が怖かったってことですかね。1年生の時、先輩ら怖すぎて。それとかかな。最初はその思い出しかないですね。でも、そのあとはコロナになって寮も変わって2人部屋になって。一個下の、同じ通信に行ってた仲良い後輩と同部屋になって、その1年間は楽しかったですね。
あと、コロナ禍なのに家に帰してくれなくて。全部の部活大体、地元帰って実家で授業受けてましたけど、フェンシング部だけ『帰っていいですか?』って言ったら『誰が寮を掃除すんねん!』って言われてずっと寮いましたね。朝の掃除するためだけに」

──1日の大学スケジュールは

月・水 一日中大で1〜5限

火・木 一日中JISS

金曜日 学校とJISS

▲高いレベルでしのぎを削ってきた力武氏(右)

──JISS、初めて聞いたんですがどういう施設

「味の素スポーツセンターっていうめっちゃ大きい施設で、そこに、JOCが噛んでる競技が全部入ってて。行けばそこの施設の中に、日本代表選手がみんないるよみたいな場所です」

──JISSに行っていいよってなったのはいつ?

「2年の終わりくらいですね」

──成績残したから行けることになった?

「そうです。JISSに行けるのって日本代表の監督やヘッドコーチの推薦とかになるんで曖昧なんですけど、自分が呼ばれたのはU20の時に全国大会で優勝してからですね。
元々僕は行かない予定だった、2ヶ月半くらいシニアの普通の日本代表の遠征があって『すごいな、そんな行くんか』と思ってたんですけど、連絡きて『行けるか?』ってきて『行きます!』って、試合終わったその日の晩に」

──練習は中大ではなく、JISSでやられてた

「そうです。後輩たちもいるんで、中大もたまに。教えるとかじゃないんですけど、相手になるために自分が行ってましたね。JISSは土日休みで、中大は土日練習あったのでそこで行ってましたね」

フェンシング一本

──バイトとか

「してなかったですね、フェンシング一本で」

──フェンシング選手の道しか考えてなかった

「そうですね。高3の通信入った時点で、頑張って受験勉強して入った学校辞めてるんで、その時点で覚悟は決めてましたね。俺はフェンシングで行こうというか、続けたいって、強くなって続けたいっていうのが1番にあったんで。あんまり大学で辞めるっていうのは考えてなくて」

▲フェンシング一本で考えていた

ミキハウス入社

──ミキハウスは、どういう経緯で入社した

「大学4年の時からスポンサー契約で。最初、協会にダブルネーム「中央大学/ミキハウス」ができないって言われて。それを名前出せないのにお金もらえないじゃないですか、普通は。けどミキハウスはすごいいい会社で『それでも大丈夫、シンプルに応援したいから』って。いい会社やなって思って、入社もそのままって感じで」

──社会人のプロ、どういう生活を送る

「多分人それぞれ違うと思うんですけど。普通って選手じゃない限りは、だいたいみんな業務は一緒にやるじゃないですか。でもミキハウスは『業務と並行して競技してオリンピックに行けるはずない』っていう考えなので、仕事はほとんどなくて。ミキハウス自体が練習場を持ってるわけでもないから、JISSで自分で責任持ってかんばってみたいな、オリンピックに出ればそれでいいから。ほぼ野放しというか、自由にさせてくれてますね」

──それは緊張しますね

「スポンサー契約した頃は、大学生から急にそれに変わってお金もらう立場に変わったんでそれで最初は成績とかも落ちて、緊張というかプレッシャーで。最初はきつかったですね」

▲ミキハウスに入社し、五輪を目指す

珍道中の海外遠征

──遠征は自分で決めている?

「遠征は決まってて。試合にフェンシング協会が派遣してくれるので、自分達で行きます。ミキハウスが(遠征費を)払ってくれて、自分達は試合に行くって感じですね」

──遠征は海外が多め?

「ヨーロッパが多いですね。北アフリカとかも。試合するのは、エジプトとかアルジェリアとかチュニジア、アフリカだとこの3つが多いですかね」

──海外遠征中の思い出などあれば

「思い出めっちゃありますよ、どういう系がいいですかね。例えば、アフリカとかに行ったら間違いなくめっちゃ見られるんですよ。そもそもアジア人が全くいないから、街歩いたりとか、僕ら選手団が空港降りてでたらみんな僕たちのこと物珍しそうに写真撮るんですよ。みんなついてきて、有名人みたいになった気分になるんですけど、向こうではアジア人が珍しいんやと思います。そういうことで、文化の違いを感じたりとか。いっぱいありますよでも。ありすぎてちょっと(笑い)」

──時差ボケとか

「めっちゃありますよ」

──もう慣れましたか

「いや慣れないですよ、全然。帰ってくる時は8時間前になるから、だから朝の8時にやっと寝る時間になるから。なんなら僕、まだちょっと時差ぼけなんで。全然治らないですね」

──海外遠征中のプチハプニングは

「飛行機、預けたらめっちゃ扱い悪いんで。僕3ヶ月遠征行くってなって、最初ジョージア行ったんですけど、ジョージアで降りたら今から3ヶ月使う鞄のチャックが全部壊れてて『もう最悪や!』と思ってそれはきつかったし。僕じゃないですけど、お店でご飯食べてたら財布も入れてたアウターごと盗まれてとか。めっちゃありますよ。結構やばいですよね」

フェンシングの魅力とは

──選手側からのフェンシングの魅力は

「頭をめちゃ使うんで、『フィジカルと頭のバランス・戦術のバランス』のところがスポーツの中でもトップクラスに深みがあるというか、思考力が養われるスポーツなのでそこが魅力かなと思いますね。自分よりも海外の選手の方がずっと大きいし、190なんぼとか、フィジカルが強いとか力が強いとかあるんですけど、それを戦術で負かせるのは1番気持ちいいのでそこが魅力ですね」

──見ている側・やってない人目線では

「早すぎて見えないと思うんですよね。あと金銭的な面で、めちゃお金がかかるんで。そういうので『日本ではメジャーになりにくいのでは?』と思うんですけど。ちょっと軽くルールを知ってもらうだけで、触れるだけでも見え方とか変わってくると思うので、ただ剣でやりやってるだけには見えなくなると思うので。そういうのがあれば、日本でももうちょっとルールが浸透すれば見え方が変わってくると思うから。難しいですよね。お客さんからしたらね」

「びっくりしたのは、パリオリンピックでフランス人みんな軽くルール知ってるんですよ。会場でも、判定って大体両方ランプがついて、どっちかに点が入るんですよ。付いた時に勝ってると思ったら『うわー』って盛り上がって。日本もそうなれる可能性は全然あるわと、日本も今強くなってるから、そういう時が来ればいいですけど」

──普段はどういう練習をされている?

「100%JISSで。まずはフットワークが1番大事なんで、前後の動きとか切り替えしたりとか。その次にレッスンっていうのがあって、コーチとマンツーマンで対人練習。エクササイズっていうのもあるんですけど、選手が向かい合って状況を絞る練習とか、お互いに剣を持って斬り合うとかね。試合形式でやる練習も主です」

──ロスオリンピックに向けての目標、出られた際の目標

「やっぱりメダルは持って帰ってきたいですよね。オリンピックに出るまでワールドカップとかアジア選手権とか色々、まだ越えないといけない壁がいくつもあるので、そういうので結果を積み重ねて。たまたまオリンピック出られたとしても、いい結果を出せるわけないので手前の大会から逆算して結果を残していくのが1番、大事なのかなと思いますね」

──現時点で、その道へは

「2年前とかは怪我とか、社会人1年目で苦しかったんですけど。去年の冬の大会で、出た大会で3つ中2つは表彰台あがったんで、1年たって、苦しいのも乗り越えて成果が出たのかなって感じてて。
海外遠征も今まで3回中1回しか残ることできなかったのに、3大会連続でベスト64に上がることができて、ちょっとはステップアップしてると思うんですけど。まだまだ足りないところばっかりだと思うので、そこをそういう課題を見つけてやらないとなと思います」

「今も世界ランクで行ったら百何位とかで低いんですけど、日本人ではギリ5番目の世界ランキングなんで、団体出ようと思ったら4番に入らないといけないなと。上の4人がちょっと抜けてるから。そこに自分が入っていきたいっていうのがあるんで、まだまだですよ。これからですね」

▲日本を背負う選手を目指し、練習に励む

──フェンシング界、この選手に注目だ!

「これからもっと強くなる自分に注目してほしいですね(笑い)」

意味ある4年間を

──中大生へのメッセージ

「大学って良くも悪くも自分の自由でなんでもできるじゃないですか。自分で何か課題を持つとか、目標を持つとかなんでもできると思うんですけど。僕自身は、大学で優勝するとか日本代表になって世界で活躍するっていう目標を持って大学4年間やって。やっぱり、4年間やってる内はしんどいこととかいっぱいあったんですけど、終わってみたら充実してたなっていう部分が自分の中で大きかったので、色んな大学生とか目標もつとか難しいと思うんですけど、大学生活のやりがいというか目標を持って大学生活を謳歌していただければ。卒業して社会に出た時に、大学行って良かったなってなると思うので、何か目標を持って4年間意味を持って過ごしてほしいですね」

▲笑顔で取材に応じてくださった力武氏

優しい関西のお兄さんは、ニコニコ笑顔で取材に応えてくれました。壁を越えた先にある「夢舞台」への切符を掴めることを記者一同願っています。

(取材・構成:小林想、松岡明希)

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