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【現役中大生オリンピアン特集1】「自分の活躍でフェンシングの知名度を上げていきたい」/上野優佳が語る東京五輪、そしてパリ五輪への思い

19歳という若さで出場した東京五輪。個人戦、団体戦ともに日本のエースとしてメダル獲得を目指したものの、どちらも6位入賞に終わり、目標を達成することはできなかった。しかし、悔しい気持ちと共に獲得したもの、同じ目標を掲げる強者たちと競い合った経験は、大きな価値を持つものとなった。パリ五輪まであと3年、若くして実力を身に付けてきた上野優佳(法2)は五輪の悔しさと経験を胸に、再び大舞台で今度は金メダルを獲得することを誓った。

(聞き手、構成:尾又賢司)

▲ズーム取材で中大のCのマークを作ってくれた上野

「難しい試合だったというのは自分で感じます」

インタビューの冒頭、上野は東京五輪をそう一言で振り返った。今年3月にはけがもあって手術も受けたが、その影響はほとんどなく、日本代表の選手たちと練習をしながら本番まで準備を続けてきた。懸念材料はなく万全の状態だった。また、いつもとは違う異例の五輪も、上野は前向きに捉えようとした。

「日本の応援団が沢山いた方が、自分としてはもっと盛り上がったのかなという気持ちはありますけど、逆に言えば緊張やプレッシャーが余計にかからなくて、そこはプラスに捉えるようにはしました。(開会式は)試合が近かったので出ていなくて、選手村で他のメンバーと一緒にテレビで見ていました。(始まったなという雰囲気は)そんなにはなかったですけど(笑)、でもやっぱり出たかったですね」

無観客の寂しさはあったが、戦うしかない。今ある環境でベストを尽くさなければならない。そんな大会が上野にとっての初めての五輪であった。

「試合前は全然緊張とかなくて、試合の時も緊張よりも試合を楽しんでいる感覚は自分の中であったので、すごくいい状態で試合に臨めたと思います」

25日の個人戦の初戦はいつも通り、立ち上がりはやや出遅れたが、自身が思うよりも焦らずに修正して危なげなく勝利を収めた。2回戦は2017年に一度対戦をし負けているニコール・ロスとの試合。負けたときの悪いイメージが残っていたが、それでも6点差で勝利を収めてリベンジを成功させた。そしてベスト4をかけた準々決勝では金メダリストとなったリー・キーファー選手と対戦する。

「キーファー選手はとてもアグレッシブで、試合展開が早いというのは予想していました。自分からいかに攻められるかというのが大事だったんですけど、序盤から相手に攻め込まれて、それに焦ってしまいました。技術面で劣っていることはなかったと思うんですけど、早い試合展開を予想した中で、自分がいかにアタックして取れるかというのは非常に大事になってくるところだと思いました」

兄・優斗(法4)との練習で培ったスピードや、幼少期から父に叩き込まれた技術は通用した。しかし、キーファーの経験値を超えることはできずに負けてしまった。上野は戦い方の部分で改善の余地があったと反省する。その反省は五輪の大会中でも生き、団体戦のアメリカとの戦いでは思い切った攻撃でキーファーにも互角以上の戦いぶりを見せた。

「初のオリンピックで、メダル獲得は目標にはしていたんですけど、個人も団体も獲得できなくて、悔しい気持ちが一番あるんですけど、すごく経験値を得た試合だったのかなと思います」

負けて悔しいのは一番。しかし上野にとっては、難しさもありながら自身の持つ力を存分に発揮した東京五輪は確かに実りのある大会となった。

 

ここまでの戦い、どんな支えが有難かったかを問うと、鍛えてくれた父、生活で支えてくれた母の存在はもちろん、フランクコーチの名前も挙げた。

「ナショナルチームに入ってから、支えてくれたフランクコーチは大きい存在でした。中学3年生からシニアの遠征回り始めたんですけど、そのころから『日本チームは気持ちが弱いんじゃないか』とフランクコーチから言われる部分があって、精神面の部分が鍛えられたんじゃないかと思います」

フランク・ボアダンコーチはフランス代表としてフルーレのメダリストとなった経験もあり、現役を退いた後はフランスチームのコーチを経て、2017年に女子フルーレのコーチに就任した。就任5年目で迎えた東京五輪では、女子フルーレの選手の信頼を寄せるコーチとして欠かせない存在となった。

「ここまで支えてくれてフランクコーチにはメダルで恩返しがしたかったなという気持ちはあるんですけど。キーファー選手に負けた後にフランクコーチから『以前の世界ジュニア選手権の時も中学3年生の時に負けて高校1年生で優勝することができたんだ。次のパリはメダルを獲得しなきゃいけない場所なんだぞ』と言われて、自分としても頑張らなきゃという思いになりましたし、フランクコーチとまた3年後に向けて頑張りたいと思いました」

試合に負けて悔しさでいっぱいだった上野は、このやり取りの後は前を向き、パリ五輪へフランクコーチとともに一歩ずつ進んでいく決意を固めた。

 

もう一つ、上野には成し遂げたいことがある。

「フェンシングの知名度をもっと上げていきたいなというのが、最終的な目標としてあります。自分がオリンピックでメダルを取ったり、活躍することで知名度も向上すると思うので、まずは活躍することだと思います」

東京五輪では男子エペ団体の日本代表が金メダルを取り、フェンシングという競技が注目されるきっかけを作った。しかし、競技人口や人気はもっともっと伸びていってほしい。そして、フェンシングのいいところをもっと多くの人に知ってほしい。それが最前線でフェンシングというスポーツと向き合ってきた上野の願いだ。

「今回の大会を通してたくさんの人に、『感動を貰えた』であったり『自分も頑張らないといけないな』とか、『勇気を貰えた』という言葉をかけてもらったので、スポーツは人の心を動かすものなんだなと感じました。スポーツに全く関係ない人にも感動や勇気を与えられることは、本当にすごいことだと思います。フェンシングは多くの人に認知されていないスポーツですけど、それでもこうやってオリンピックになると注目されるので、たくさんの人に感動を与えられるような選手になりたいですし、パリで必ず金メダルを獲得して自分のお世話になった人たちに恩返しがしたいです」

東京五輪で多くの人に勇気と感動を与えた19歳。まずは今月の全日本選手権で結果を残し、ワールドカップ、グランプリでメダル獲得を狙う。数多くの対戦を経てさらなる進化を遂げた3年後のパリ五輪では、悲願のメダル獲得の夢をかなえてくれるはずだ。

 

プロフィール:2001年11月28日、大分県出身。法学部。父母ともに元フェンシング選手、兄の優斗は中大に所属し、全日本選手権2位などの実績を残す実力者。

来歴:父がコーチを務めていた大分県日田市のクラブチームでフェンシングをはじめる。中学では陸上部に所属しながらフェンシングを続け、高校3年生から通信制の星槎国際高校に転向し、フェンシングに打ち込む。この時期にナショナルチームの練習に加わる。その後、兄の影響もあって中大へ進学。

戦績:2018年ジュニアワールドカップ、ユース五輪優勝、2019年アジア選手権2位、世界選手権6位など。日本人最高の世界ランク7位で代表に内定。

仲の良い選手:「サーブルの福島史帆実(セプテーニホールディングス)さんです。ナショナルチーム全体での合宿の時に仲良くなって、5~6歳ぐらい年上の選手なんですけど、すごく仲良くしてもらっていて自分も気を遣うことなく楽しく話せます」

選手村:「柔道の阿部詩さんやバスケの八村塁選手に会うことができ、あいさつ程度だったんですけどすごく嬉しかったです」

野球好き:野球好きの上野。同じ大分出身の源田壮亮(埼玉西武ライオンズ)、森下暢仁(広島東洋カープ)、甲斐拓也(福岡ソフトバンクホークス)らの活躍に刺激を受けた。始球式に出たいという野望もあり、埼玉西武ライオンズの試合で始球式に出た江村美咲(令3卒)を羨ましく思っている。大谷翔平(ロサンゼルスエンゼルス)も尊敬している。

お気に入りの国:フランクコーチの出身地のフランスのパリにはナショナルチームの合宿でもよく行くそう。「練習環境もよく、観光も楽しめる場所。パリ五輪でコロナがなくなったら、外出したり他の競技も見たり、楽しみたいです」

次回の記事はこちらからご覧ください。
【現役中大生オリンピアン特集2】「勇気を与えることがスポーツマンとしての意味」/池本凪沙が語る東京五輪、そしてパリ五輪への思い

 

アイキャッチ画像:森田直樹/アフロスポーツ