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【新体制特集】第3回 硬式野球部新入生インタビュー③〜熱くチームを盛り上げる!安田淳平編〜

中前祐也(法4=浦和学院)主将のもと新チームが始動した中大野球部。今までチームを引っ張ってきた北村恵吾(=東京ヤクルトスワローズ)、森下翔太(=阪神タイガース)らが卒業するものの、その穴を埋める頼もしいニューフェイスが加入。「反撃」をスローガンとし、日本一を目指す中大野球部の新鮮力4人のインタビューをお届けします!

第3回目は安田淳平(商1=聖光学院)選手。高校時代は3年春、夏と甲子園に出場し、3年夏には聖光学院高史上初のベスト4進出に貢献。高校時代は3番センターで主に出場し、Uー18高校野球日本代表にも選出された。とにかく熱くチームを盛り上げてきた男は中大でも熱い気持ちを持ってチームを鼓舞し、日本一のために役割を全うする。【取材、構成=為谷楓太】


熱い姿に惹かれた
——中大を選んだきっかけ

「最初は選ぶ段階では自分が目立った活躍をしていなくて、でもその中で高いレベルでやりたいという気持ちがあったので、その中でも入れ替え戦があったのも大きいんですけど、厳しいところでやった方が自分に合っているのかなと思いましたし、中大が東洋大学と入れ替え戦をやっていた時に、熱くやっていた姿というのが自分の中でも惹かれたというかそういうところでやりたいという気持ちがあったので中央大学を選びました」

——入学前の中大のイメージは

「最初は入れ替え戦のイメージがとにかく強いんですけど、東都ということもあってすごい厳しい野球をやるというか強いチームとやりますし、その中でも熱いというか福島開催があった時に中大が来たと思うんですけど、自分はその時アメリカに行っていて補助はできなかったんですけど、(聖光学院の)チームメイトが補助してくれて、中大熱かったよって言っていたのでとにかく一生懸命で、東都の中でも熱いチームだなという印象がありましたね」

——東京から聖光学院に進学したきっかけは

「親しい先輩が行っていたというのがあるんですけど、一回オープンスクールに行った時に練習の最後に監督さんが話をしてくださって、その話を聞いて練習参加したりしてここで野球やりたいと、先輩達が熱くやっていたというのが大きいんですけど、ここで自分が野球をやりたいというか甲子園に行けなくてもここで自分は鍛えられるかなと思ったので進学しました」

——中学、高校、大学とチームを選んでいく中で重視していたのはやはり熱いところなんですか

「野球の技術だけで勝負するというのはあまり好きじゃないというか高校野球とかも自分が小さい時見ていても涙流しながらじゃないですけど、泥臭くやっているというのがすごい自分は好きというか常にそういう気持ちを持ち続けてやっていたので、そういうところが中学、高校とチーム選びをする中で自分の中で引っかかっていたのかなと思いますね」

——高2の夏に連覇がストップしてしまいましたがその時抱いた気持ちは

「自分もスタンドで見ていて、先輩たちの野球の能力もすごいあったというかすごい強いチームというのもあって、先輩たちのこと自分たちも大好きでしたし、甲子園行って欲しいという気持ちも、甲子園行くだろうなっていう思いもあって見ていたんですけど、負けて泣き崩れている姿を見て衝撃が走ったというか、連覇が止まったというのもあるんですけど、やっぱりあれだけ力のある良いチームでも負けるときもあるんだなっていう衝撃が大きかったですね」

——やはり負けたことは受け入れ難かったですか

「自分たちのチームと比べても断然その年の3年生のチームの方が強かったですし、自分たちが普通にやっていても当たり前のように甲子園に行く時代は終わったんだなと。それを受けて先輩方が何年も連続で甲子園に出ていたのは当たり前じゃないと感じました」

——夏の大会が怖くなったりしませんでしたか

「歯車が狂えば自分たちがどれだけ練習を積んでも敵わないこともあるのかなと思いました。でもそれに対する挑戦というのが自分たちの使命でもありましたし、先輩方が出れなかった分自分たちが甲子園に出て先輩たちに喜んで欲しいなと思ったので、1つ自分たちの原動力になったというか野球の厳しさも教えられたなって感じましたね」

4強に満足していない
——それに反して自分たちの代は春夏と甲子園に出場しました

「秋の大会とか大会入る前に自分たちが粘り強くどういう展開になっても自分たちの野球を貫いてやれば簡単には負けないだろうというところまで行きましたし、それは別に野球の力とかチームの強さとかじゃなくてひとりひとりの選手同士の繋がりとかそういう並大抵のことはしていないというプライドはありましたし、強い気持ちを持って大会に入れたので、ある程度自信を持って入れたという感じですね」

——夏の甲子園はチームベストの4強ということですが

「4強という結果に満足はしていなくて、チーム結成当初から日本一を目指してやってきましたし、もちろん自分たちの戦いを見て先輩方はベスト8を破って欲しいという気持ちもあったと思いましたし、それは自分たちも嬉しかったですし、ひとつ聖光の歴史を変えられたというのは嬉しかったと思いますけど、後輩たちには日本一を目指してやって欲しいなという気持ちとベスト4に初めて行って新しい壁というか新しいステージに上がったと思うのでそこを後輩たちに突破して欲しいです」

——そうなると夏の甲子園で仙台育英に負けたことは相当悔しかったんじゃないですか

「あの時は負けてもちろん悔しかったんですけど、それよりチームメイトとの歩みが終わった寂しさというかあれだけ点差が離れてもひとりひとりが絶対に気持ちを切らさないでやれましたし、球際の強さというのも点差見たら崩れてしまった形にはなったと思うんですけど、最後の最後まで粘り強く戦えたことに関しては個人的に結構好きで、あれは自分たちの集大成というかあまり良い試合ではなかったかもしれないですけど、最後まで諦めずに声出し続けてやり切れたという面では最高の試合でしたね」

——甲子園のホームランについては

「最高でしたね。走っている時も歓声聞こえて、信じられないって感じでしたね。ベストホームランです」

赤堀に「負けたくない」
——チームメイトだった赤堀(颯=国学大)君が今度は敵になりますがそこについては

「東都行きたいと思ったのも赤堀が先に国学院に決まっていて、そう意味でもちょっと意識してた部分もありましたし、いつか戦う相手になると思うのでそこの対戦は楽しみというかすごい刺激になると思いますし、連絡も取り合って違うチームでも切磋琢磨(せっさたくま)してやっていきたいと思います」

——赤堀君とのエピソードはありますか

「赤堀がキャプテン、自分が副キャプテンだったんですけど、赤堀はとにかく自分以上に熱い男というかチームに対する愛だったりというかひとりひとりに対する気持ちの思い入れだったりとか人望の熱い人で、自分も尊敬するような選手なんですけど、自分と赤堀とのエピソードというよりかは赤堀が泣きながら訴えてチームを作ってくれましたし、選手としても甲子園でも夏の県大会でも打ちまくってチームを引っ張ってくれて、そういう同い年だけど自分もあんな選手になりたいと思えた唯一の存在というかあれだけキャプテンとしてもすごくあんだけ熱くなって野球やれる選手ってなかなか見たことないですし、エピソードというかはわからないですけどすごい切磋琢磨(せっさたくま)してやってきましたし、赤堀があそこまで導いてくれたのは大きかったので自分も赤堀に負けたくないなっていうのはありますね」

——高校時代赤堀君とどんなチームにしたいと思っていたのでしょうか

「力は全くなかったので、とにかく簡単に甲子園に行くということも言えなければ粘り強く接戦をものにして、時には逆転もしながら勝ち進んでいかなきゃならなかったのでそういう意味ではひとりひとりの気持ちの強さというのも格段にないと日本一というのも見えてこない位置からスタートしたのでとにかく執念というか粘り強く戦えるタフさというかの強さをすごい大事にしてきましたし、絶対勝つというよりはとにかく負けない野球をするというのを口酸っぱく言い合ってきたのでそういう意味では渋いチームなのかもしれないですけど、強豪校にも負けない野球を追求しました」

——赤堀君と2人でジャパンに選ばれた時感じたことはどういったところでしょうか

「最初センバツ終わった後の選考では山浅が選ばれていて、そこはちょっと心痛かったというか胸が痛くて山浅もずっと選ばれると思っていたというのもあったんですけど、赤堀が一緒に選ばれたということで心強かったですし、嬉しかったです」

——山浅(龍之介=中日ドラゴンズ)君からプロの世界について何か聞いたりしましたか

「聞いたりというよりは山浅もすごい存在感出してドラゴンズで頑張っているのはYouTubeだったりニュースだったりで出てくるくらい自分の持ち味発揮してやっているというのはひしひしと伝わってくるのでそういう面ではすごい刺激になるというか自分も4年後プロになりたいという思いは強くあるのでそういう意味では山浅にすごい頑張ってほしいというのもありますし、本当に臆することなく戦っているというのはすごい刺激になりますね」

——侍ジャパンを経験して得られたものは

「自分よりも力のある選手がいっぱいいて、そういう選手の中で野球できたっていうのはすごい大きかったですし、自分が強く感じたのは最後の方は試合に出ることができなくて、そういう面では自分の力不足を痛感したというかこれから大学野球やるにしてもまだまだ自分の力が足りないということを痛感したというかそれがすごい大きくて、もちろんアメリカで野球やって、いろんな国の野球に触れられたというのは大きい経験だったんですけど、自分の力不足というかそういうのを叩きつけられたというのが強くあって、それが1番心に残っていますね」

▲侍ジャパンのチームメイトだった伊藤櫂(右)とチームを支える

——1番力不足を実感させられた存在はいましたか

「みんな野球上手いんで伊藤(櫂人=文1・大阪桐蔭)にしても松尾(汐恩=横浜DeNAベイスターズ)にしても浅野(翔吾=読売ジャイアンツ)にしても。みんな自分より頭一個上というのは感じたのでそのレベルでやっていくにはまだまだ力が足りないというのをどの選手からも感じたというかそんな感じですね」

4年後はプロに
——中大の雰囲気は

「先輩もすごい優しいですし、そういう面では1年生から入っている自分たちも自分の色を出しやすい環境なのかなとは思いますし、でも実践的な練習になった時は先輩たちも厳しいですし、オンとオフの切り替えもすごいですし、ひとりひとりの先輩を見ていても野球に対するこだわりというかそういうものもしっかり持っていて、名門校というかすごい意識の高いチームだなと思いますね」

——実戦練習をやっていく中で大学野球の難しさを感じたりしますか

「大学野球はというか新しいチームになって自分も守備の連携だとかはまだ始まったばかりですし、まだまだ練習も始まったばかりなので木のバットの対応だとか始まったばかりでわからないことも多いですけど、これからしっかりやっていきたいです」

——侍ジャパンの時から木のバットを使っていたと思うんですけどやはり難しいんですね

「だいぶ振れるようにはなってきたと思うんですけど、まだまだピッチャーに対する対応っていうのはまだまだ全然だなと思っているのでこれから練習積んでできるようにしていきたいと思います」

——チームの中で参考にしている先輩は

「中前さんですね。バッティングもなんですけど、キャプテンとして引っ張る姿だったり練習の中でもすごい声出していますし、そういうのは真似したいですね」

——アピールポイント、強みは

「とにかく熱く野球やるところというかそれが自分のモットーというか1番の強みでもあると思っていますし、結果というのはその日その日で変わってくると思うんですけど、気持ちの強さとか熱く野球やるっていうのはいつでもできることなので、それをぶらさずにやれるのはひとつの強みなのかなと思いますね」

——大学4年間で伸ばしていきたい部分

「4年後プロになりたいというのがすごいあるんですけど、自分のタイプとしては何か突出したものがあるかと言ったらないと思いますし、逆に言えば走攻守どのレベルでも勝負できないとプロのレベルには上がれないと思うので、右投げ左打ちの外野手といったら自分よりいい選手もたくさんいると思うのでその中でどうやって頭ひとつ抜けていくかはすごい大事だと思っているので、どの分野においてもレベルアップしていかないとプロに行けないと思っているので全部頑張っていきたいと思います」

——この4年間の目標と将来的なビジョン

「個人としては4年後プロに行くというのを持ち続けながらその過程の中で日本一というところに挑戦していきたいと思っていますし、今年も来年も3年後も4年後もチームの日本一目指してやっていきたいという思いがあるのでそれに貢献できる選手になりたいと思います」

<安田淳平プロフィール>
安田淳平(やすだ・じゅんぺい) 2004年(平成16年)9月14日、東京都生まれ。聖光学院高卒、177cm・75kg、右投左打。趣味は音楽を聞くこと。憧れとする選手は糸井嘉男選手で、座右の銘は「僕は夢を見ない。常に目標を掲げる」