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【インタビュー】パリ本番直前!池本凪沙、再びリレーで五輪の舞台へ「楽しんでレースがしたい」

欧州GP、3カ国で泳いで得たものとは

―欧州GP出場にあたっての自身の目的や目標は何だったのでしょうか。
 私自身、海外の試合っていうのがあまり得意ではなくて、前半の2戦は屋外だったんですよね。外のプールっていうのもありますし、どういう環境でもタイムを安定して出せるかっていうところを狙って、今回のヨーロッパグランプリは出場しようという形になりました。

―実際にカネで泳いでいかがでしたか。
 カネの大会は、カネで1週間強化合宿してから試合っていう形だったので、疲労は抜けきらない状況でどのくらいタイムが出せるかって感じだったんです。気温もけっこう寒くて、身体も温まらない中で試合していたんですけど、海外とかはそういうのが多いので、そういう所で強化・調整もしていないですけど、最低限のラインがどのくらいなのかっていうのは感じたかったというか、自分自身どのくらい出るのかというのは分からなかったので、出て良かったかなというふうに思います。

―カネでの具体的なレース結果はどのように捉えていますか。
 予選からいくことはできたんですけど、予選から2分を切るっていうことを目標にしていたので、予選(の結果)は2分00秒00だったんですね。やっぱりその0.01秒とかが大切になってくると思うので、そこはもうちょい上げたかったかなというふうに思うんですけど、まあ経験かなというふうに思います。

―第2戦のバルセロナ大会はバタフライで出場しました。
 2フリを3戦連続でしたくないっていうのもあって、1バタ(100㍍バタフライ)を選んだというのもあるんですけど、ロスに向けてというのもありますし、バタフライ自体も日本の大会でしかあまり出たことがなくて、海外でどのくらい出るかっていうのも見たかったので、挑戦してみようっていうふうにコーチと言って出てみました。

―バタフライの感想としては。
 予選から決勝でタイムを上げるという難しさを知りましたし、バルセロナはめっちゃ水がにごっていてターンが本当に合わなくて、そういうこともあるんだろうなっていうふうには思っていたんですけど、そういう難しさもありましたし、バタフライはあと3年かけてもっともっと強くなれるんじゃないかなという伸びしろは感じました。

―モナコの最終戦は100㍍フリーで3位でした。結果を出せた実感はありましたか。
 3番に入れたっていうのもありますけど、2フリの予選が9時ぐらいからスタートだったんですよ。日本の大会でも9時スタートっていうのはなかなかなくて、朝からどのくらいのタイムが出るかというので9時半ぐらいからスタートだったんですけど、1分58秒8ぐらいで予選通過することができて、日本でも1分58秒台で泳いだことがなかったですし、感覚としても「これで58秒台なんだ」という感じで自分の感覚も良かったので、100㍍は最低限ラインの3番に入れて良かったんですけど、200㍍の方が収穫としては私自身は良かったんじゃないかなというふうには思います。

―3カ国を回りますが忙しくなかったでしょうか。
 バルセロナからモナコに関してはモナコに着いたのが夕方の7時ぐらいで、次の日から試合だったのでけっこう移動疲れもあって大丈夫かなって思ったんですけど、やっぱりカネで最初の1戦目の感じで強化して、だんだん泳ぐ回数も減ってきて良い感じに身体の疲労としては抜けてきていたのかなという感じだったので、良いぐらいの疲労度でモナコはいけたんじゃないかなと思います。

▲3月に行われた選考会で自由形を泳ぐ池本

2度目の五輪「楽しんでレースがしたい」

―率直なオリンピックという大会のイメージや印象はどのようなものでしょうか。
 本当にすごい舞台っていう感じのイメージだったんですけど、今は楽しむ場所。こんな機会めったにないんだからこの場所で活躍してやろうという気持ちが多いです。

―オリンピックを意識し始めたのはいつ頃のことでしたか。
 中学の全中で優勝させていただいた時から日本で戦えるんだなって思って、日本で1位になれるんだったら世界でも戦いたいって思ったので、たぶん高校生からはもう常にオリンピックを目指してたかなと思います。

―パリ出場にあたり東京五輪を思い返していかがですか。
 東京の時は本当に調子が悪くて、東京の選考会もずっと調子悪かった思い出があって、本番を迎えた時もその調子の悪さが本当に不安で仕方なくて、周りをあんまり見れてなかったんですね。場の雰囲気とかも早く終わってくれっていう感じだったので楽しめてなかったんですよね。でもやっぱり3年とか経ってから、楽しんでレースがしたいっていうふうに思う気持ちが強くなったので、パリではタイムも本当に大事ですけど、応援だったりという形でちゃんと目に焼き付けて帰りたいなというふうには思います。

―2回目の出場だからこそ生かせる前回からの経験や反省は何かありますか。
 レース中も本当にどういうプランで行って、どういうレースをしようっていうのは東京オリンピックの時はなくて、無我夢中でこの1本を全力で早く終えるためにという感じだったので、今回のパリでは自分自身のレースの泳ぎ方がだんだん分かってきてはいると思っていて、しっかりとタイムを出すためにどうやってすればいいっていうのは自分自身も分かっているはずなので、それをパリの本番で出せる覚悟を持って挑むことは大事なんじゃないかなというふうには、東京オリンピックを終えて思いました。

―東京との違いに観客の有無が挙げられます。観客の存在は泳ぎにどのように影響すると考えていますか。
 世界水泳福岡の時に有観客で久しぶりに国際大会でやらせていただいて、開催国というのもあるんですけど、ジャパンが出ると周りの観客の皆さんがワーってしてくれたのは本当に身にしみて覚えていて、応援が力になるっていうのは思ったので、無観客よりかは私自身は観客がいた方が良いかなというふうには思いました。

―五輪出場の経験は自身の選手としての成長や競技人生にどのような意義があるのでしょうか。
 私自身、本当に水泳をここまで続けてきたのはオリンピックに出るという目標があってこそ続けてこれたので、まだ自分の納得する結果はオリンピック出場ってだけでは自分自身は納得していないんですけど、そういう目標があるからこそ、水泳はずっと続けてこれてるなっていうふうには思うので、自分が納得いくまでは追いかけ続ける目標という感じです。

―東京五輪時は「(コロナ禍でも)開催して見ている人に勇気を与えるということがスポーツマンとしての意味」と述べていました。オリンピアンやアスリートとしての社会的な役割については。
 全然変わっていないんですけど、オリンピックに限られた人数で出場できるってことはなかなかないと思うので、しっかりと出たからには結果を残すことがスポーツマンとしてここまでやらせていただいている周りの方々の支えであったりっていうのは、結果で恩返ししないといけないなというふうに思っているので、その姿を見て笑顔になってくださったりとか、頑張らないとなって思ってくださることが、スポーツマンとしての役割でもあると思うので、しっかりとそれを胸にしまってレースはしたいなっていうふうには思っていますね。今も変わらず。

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