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【ヒマラヤ未踏峰「プンギ」初登頂】山岳部・芦沢太陽さんインタビュー(後編)

2024年10月12日、山岳部主将・芦沢太陽(文3)が他大学の山岳部員とともにヒマラヤ山脈の未踏峰・プンギ峰(標高6524㍍)の登頂に成功した。計画から資金集め、交渉、そして遠征までを学生のみで行い、5人で人類誰もがまだ見ぬ山の頂上へ。

前人未踏の偉業を成し遂げるまでの軌跡を余すことなくお届けする。

 

遠征までの準備などについて語ってもらった前編はこちら↓

【ヒマラヤ未踏峰「プンギ」初登頂】山岳部・芦沢太陽さんインタビュー(前編)

前編に引き続き、後編では登頂の瞬間についてや登山中の出来事などをお伺いしました。

 

(聞き手、構成:今村志歩、齊藤さくら 写真提供:日本山岳会)

▲ヒマラヤ山プンギ峰登山の様子

 

──登頂したときの率直なお気持ちは

「登頂した瞬間はやっぱりうれしかったですね」

──「やったー!」みたいなハイな感じでしたか、「ようやく着いたー」みたいな安心感でしたか

「『やってやったぞ!』みたいな、そういう気持ちですね。やっぱり未踏峰登頂ってすごくロマンですし、山岳部に入ってる部員にとっては一番の目標と言っても差し支えないくらい大きなものなので、それを達成できたのはすごいうれしかったです。ただ、やっぱり頂上に着いて下山しなきゃいけないので、本当に素直に喜べたのは登った時の一瞬だけですね(笑い)。さっきの細い尾根を今度は下りなきゃいけないんですよ。下りる方が難しいし、時間もかかるし、もたもたしてると日も沈んじゃうし。焦りじゃないですけど、不安っていうのはうれしさと一緒にありましたね」

──周りのメンバーも?

「いろんなところで上げてもらってる動画でみんなすごい喜んでるんですけど、あの瞬間だけで、『よしじゃあ降りよう!』ってもうすぐ降りちゃうみたいな(笑い)」

──ベースキャンプに着いた時の安心感も同じくらい大きかったですか

「ベースキャンプについた時が一番安心しました。その安心感のために登ってるみたいなところはあって、『生きてるー!』みたいな(笑い)。山を下りた時の『生きてるー!』っていうのは山岳部に入ってると結構癖になるんですけど、危ない環境から解放された時に『生』を感じるというか。自分にとっての山に登る意味みたいなものの一つとしては間違いなくありますね。下山後の喜び、生きていることへの喜びみたいな」

──山頂の立てる部分は狭いんですか

「狭いかなと思ってたんですけど、意外と広くて。実は山頂に見えてたところの裏にコブみたいなのがあって、そっちが本来の山頂で意外と広かったです。動画で喜んでた場所がそうですね。幅はそんなになくて3㍍くらいなんですけど、横長でバス1台分くらいでした」

──じゃあ結構余裕を持って並んで撮っていたんですね(笑い)

「ちょっとそれを最初は心配してて。たまにあるのが山頂が狭すぎて集合写真撮れないっていう。それはちょっと嫌だなと思ってたので安心しました(笑い)」

▲登頂後の遠征隊メンバー

──今回の挑戦で特に忘れられない光景は

「2個あって、1個は初めてヒマラヤの真っ白い山が見えた時。やっぱり日本では見ないような大きさで、本当に真っ白で綺麗なんですよね。それを見た瞬間っていうのは、『俺ヒマラヤについに来たんだな』って感じて印象に残ってます。やっぱり日本だと富士山が一番高いですけど、向こうだと8000㍍くらいの山が普通にあるんですよ。本当に見上げなきゃいけないぐらいの大きさで、こんなに離れてるのにこんなに見上げたことねえなって思って、すごいヒマラヤを感じました。もう1個はやっぱり頂上からの景色ですね。登ってる間も周りの山は見えるんですけど、やっぱりどこか一部は登っている尾根とかに遮られちゃって全部は見えないんですよ。でもやっぱり山頂につけば 360度全部見えて、そこで『登った』っていうのを実感するし、同時に周りのでけえ山々を見て、次またどこかに登れる日が来るのかな、みたいな」

▲芦沢さんにとって忘れられない光景の一つになったというヒマラヤの雪景色

──井之上さん(青学大)は「とんでもないところに来てしまった」と語っていらっしゃいますが、自然への畏怖や恐怖感みたいなものは

「怖さはなかったんですけど、やっぱり人間ってすごいちっぽけなんだなっていうのを、もう心の底から思いましたね。日本の山って山脈は大きくても幅はそんなにないので、だいたい 360度見回すと大体街とか海とか見えるんですけど、ヒマラヤ山脈って幅もすごい広いのでもう 360度、地平線まで本当に山しか見えなくて、麓の村でさえ見えないんですよね。なので『こんなところ人間が来る場所じゃねえな』っていうのは多分ちょっとありましたね。地球はでかいんだな、世界は広いんだなって」

──予想外だったことや驚いたことは何かありましたか

「ベースキャンプがヤクの放牧地になってて(笑い)。ウシ科のすごいもじゃもじゃの動物で、でかいんですよほんとに。ヤクがもう普通にいてテントから出たら群れに囲まれるみたいな。遠くにいるのをちょっと眺めるぐらいかなと思ってたら、ここにいるみたいな感じでした」

▲ヤクの群れ

──登山全体を通して他にトラブルは何か起こりましたか

「あんまり大きなトラブルはなかったんですけど、一つ挙げるとしたら1回目のアタック直前にすごい大雪が降って、それで足止めを食らいましたね。だいたい10月頭に雨季が終わって登山シーズンに入るんですけど、その登山シーズンに入る直前にベースキャンプに入ってて、ちょっと早めに行こうか、みたいな計画ではあったんですけど。そのモンスーン明けのタイミングでまとまった降雪があって、だいたい50センチメートルくらい2日間降り続けて積もって、その時はベースキャンプから1個進んだキャンプ1にいたんですよ。なんですけど、『もうこの雪じゃだめだ』って。閉じ込められるし、早く降りよう、ってもうベースキャンプまで一気に下りて、そこで3日間雪が安定するのを待ったあとキャンプ1に帰ったんですけど、キャンプ場に置いてたテントが雪の重みで潰されちゃって、ポールが折れちゃって。それがまあ大きなトラブルでしたね。最終的に修理用具を持っていってたので、テントも無事に生き返って続けられたっていう。それが一番想定外というかトラブルでしたね」

──それ以上のトラブルは特に見舞われず終えた感じでしたか

「そうですね。途中ライターがつかなくて、ガスが使えないみたいなのもあって。ガスコンロは標高が高くなると使えなくなっちゃうので、ライターを近付けて引火させて使うんですけど、ライターが水没しちゃって使えないみたいな。その日はもう飯抜きで、水も抜きかもみたいなのが一瞬あったんですけど、隊長とあともう一人立教の人が粘ってたら火がついて何とかなりました(笑い)。登頂翌日にその火がつかなくて、もう明日降りるだけだからまあ耐えられるでしょって言って5人中3人は寝ようとしてたんですよ。でも2人が諦めずに頑張ってくれたおかげで美味しいご飯が食べられましたね」

──ご飯はどういったものを食べられるんですか

「登山中はアルファ米って言って、災害備蓄とかでよくある乾燥米を水とかお湯で戻すやつあるじゃないですか。あれを提供していただいていっぱい持っていって、上でいろんな味付けして食べてたりしましたね。ベースキャンプでは、ヒマラヤの登山とかをする時に荷物運んでくれたり、テント立ててくれたり、あとは現地のガイドさんが来てくれたりっていうサポートをいろいろしてくれる会社、トレッキング会社があって。それでコックさんが来てくれて、ジャガティスさんっていうイケた男なんですけど(笑い)。ジャガティスは日本食を作るのがめっちゃ上手くて、ネパールの 4700㍍の山奥で毎日日本食を食べれるっていう。すき焼きとか出てくるんですよ。食しか娯楽がない、みたいなところはあるので、すっごいパワーになりましたね。日本語もペラペラで夏の間は日本の山小屋で働いてるらしくて、日本人にとってはもう至れり尽くせりの会社でした。今回の成功はジャガティスのおかげですね」

──芦沢さんにとって一番、挑戦の原動力になっているものは何ですか

「これが分からないんですよね自分の中でも。『なんで山登るの?』とかよく聞かれるんですけど、分からないけど登ってるんですよね。理由はないですね」

──まさに「そこに山があるから」みたいな?

「有名なセリフがありますけど、でも本当にそんな感じで(笑い)。これといった理由はないですね」

──明確な理由がないと辛くなったときにすぐに心が折れそうですけど、そうはならないですか

「もういいやーとはならないですけど、『帰りてー』みたいなのは多々あります。やっぱりやりきって下りて、っていうサイクルをずっと繰り返して充実感を得てるので、『今回もきっと良い登山になるな』っていうのは思いつつ、でも『帰りてー』みたいな、『ベッドでぬくぬくしてー』みたいなのはあります。でも登っちゃう。だからわかんないんですよね。自分の中で辛いとか帰りたいとかめちゃくちゃ思うんですよ登ってると。でも下りるとまた行っちゃうんですよね。何なんですかねこれね(笑い)」

──家に帰った瞬間はどんな気持ちでしたか

「やっぱり安心しましたね。『壁があるぞ!』みたいな(笑い)。水も蛇口ひねれば出るし、なんならお湯も出るし、好きなもの食べられるし。でもやっぱりこの感覚は山登ってる人にしかわからないというか。当たり前のことのありがたさっていうのはすっごい感じますし今もかみしめてます。こんな身軽で過ごせて、こんな電気があって明るくて、エアコンついてて。日常っていいなって」

──日本に戻ってから初めて食べたご飯は

「ラーメンですね。ずっと登ってる間考えてて(笑い)。ジャガティスは日本食を作ってくれるんですけどラーメンは作れないんですよ。で、ラーメンが食べたくてしょうがなくて登ってる間ずっと考えてて。それこそさっきの危なそうだったナイフリッジ、あれ登ってる間もラーメン食いたいなーとか思ってたんですよ。まず日本に帰ったら絶対に、何よりも先に唐揚げと餃子とビールを頼んで締めにラーメン。これは絶対やろうと思ってて、帰って真っ先にやりました。最高でしたね。涙出るくらい感動しました」

──今回の挑戦で得られたものはどんなものでしたか

「やっぱりヒマラヤ登山のノウハウっていうのは、もちろん経験したことなのであって。他にもやっぱりいろいろあるな。すごいいろんなものを経験して 1 ヶ月間帰ってきたのでこれっていうのは難しいですけど、自分の中で印象的だったのはヒマラヤの良さ、酸素が薄い中で体を慣らして登っていかなきゃいけないっていう、難しさでもあり、面白さでもあるところ。あとはそれこそ景色の良さだとかを経験して、逆に日本の山の良さを再認識するというか。ヒマラヤもいいけど、日本の山にしかないこともいろいろあるな、と。例えば夏に緑いっぱいの、鳥のさえずりがすごい聞こえる中、稜線を歩いて次の山に向かってる感じとか、湿った重い雪をかき分けながら泥臭く進んでいく日本ならではの雪山とか。そういうヒマラヤと日本の山の違いっていうのを知って、日本の山の良さを再確認するっていうのがすごい印象的なことではありましたね」

▲「日本とヒマラヤの雪は全く違った」と芦沢さん

──これから中大山岳部としては、どんなことをしていこうというビジョンを描いていますか

「実は 2 年後、再来年に中央大学山学部が創部100周年で、その100周年を迎えるにあたって、今海外登山を記念事業としてやろうという計画がちょうど上がってて。場所はどこになるかわかんないんですけど、海外のそれこそ 6000㍍を超えるような高峰に自分からしたらまた、中央大学山岳部としてはもうだいぶ久しぶりに行く機会がちょっとできそうなので、それに向けてみんなで色々な話を進めながらああしようかこうしようかみたいな感じです」

──将来、芦沢さん個人として挑戦していきたいことがあれば教えてください

「アルパインクライミングの世界にもうちょっと足を踏み入れていきたいなと。アルパインクライミングっていうのは普通の登山とは違って、それこそ今回の登山みたいに登山道のない場所を切り開いていくような登山で、クライミングってある通りやっぱり壁を登っていくような登山にはなるんですけど、それをちょっと頑張っていきたいなって。主に冬ですね、冬の急峻な尾根だとか岸壁だとか、そういったところを登頂の経路として選ぶみたいな、イメージはそんな感じなんですよアルパインクライミングって。今まではいわゆるアルパインクライミング入門って言われるような難易度の高くないルートばっかり行ってて。それで今回プンギに行けてちょっと世界が広がったというか。それこそ2年後、100 周年の海外登山に向けて自分の力をつけるっていう意味でも頑張っていきたいなと思ってます」

──それはやっぱり冒険したい気持ちが強いから挑戦したい、みたいな感じですか

「そうですね。冒険するための冒険みたいな感じですね」

──卒業後も登山を続けたい、という気持ちですか

「続けたいですけど、実際問題どうなるのかなっていうのはあって、やっぱり就職とかで普通の会社に入っちゃうと1ヶ月、2ヶ月休みを取るとかできないじゃないですか。なかなか先鋭的な登山を続けていくっていうのは難しいのかなと思いつつ、でもやっぱりやりたいな、と。進路をまだ全く決めていないので、今後どうなるかはわからないですけど、卒業後もできる限り登山を続けていきたいと思ってます。生涯スポーツなので、それこそおじいちゃんになっても山で多分登ってるんだろうなと思います」

──芦沢さんの思う登山の魅力を教えてください

「もちろんいっぱいあるんですけど、自分がこれに魅力を感じてる、っていうのは厳しい登山だった時はやっぱり登山終わった後の、『生きて帰ってきた』っていう安心感と達成感とか。あとは当たり前のものがすごいありがたく感じるっていうこと。あと冬山の登山だとまっさらな雪の上に自分で足跡つけて、自分だけの道を作って自分だけの登山できるというのはありますね。でもやっぱり一番は下山した後に食べるご飯が美味しいことです」

──最後に記事を見られる方に何か伝えたいことがあればお願いします

「やっぱり大学山岳部って、中央大学山岳部もなんですけど、全盛期の輝きははっきり言ってもう失われちゃっていて、業界全体として下火になってるんですよ。今回の遠征の一番大きなテーマとしてもあったんですけど、この遠征をきっかけに大学山岳部に興味を持ってもらいたいと思っています」

 

長時間にわたるインタビューでしたが、どんな質問にも真摯に、そしてユーモアを交えて語ってくださいました。芦沢さん、そしてそんな頼れる主将が引っ張る中大山岳部のさらなるご活躍を楽しみにしております。

 

◇芦沢太陽(あしざわ・たいよう)◇
学部学科:文学部・人文社会学科
身長・体重:171㌢・61㌔
出身高校:所沢西高校

 

公式X(@chudaisports
Instagram(@chuspo_report