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第20回 Cを背負う者

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、紙面上での7月号(第160号)製作を中止することが決定致しました。そのため変則的な形ではありますが、この中大スポーツWEBにて、7月号製作に向け部員が執筆してきた連載記事や、この時期にふさわしい記事を選別し、公開することとなりました。

今回の記事は、毎号連載しているコーナー「Cを背負う者」第20回です。

 

「なぜ自分たちの代なのか」。ボクシング部主将の湯本匠(文4)は、現実を受け止めることができなかった。キャプテンとして臨むはずだった大学最後のリーグ戦は、新型コロナウイルスの影響で中止することが決まった。

 

湯本がボクシングを始めたのは小学生5年生の頃。「格闘技をやりたい」と両親に話したところ、ボクシングジムを紹介されたことがきっかけだった。中学校では陸上部に在籍していたが、中学3年次に出場したボクシングの大会で全国優勝を果たしたことで、本格的に取り組むようになった。高校は群馬県の強豪伊勢崎工業高に進学し、大学でも競技を続けることを決意した。そして、高校の監督と中大の監督を兼任している樋口伸二氏(昭57卒)に、「大学でも続けるなら、中大に来てほしい」と誘われたこともあり、中大への入学を決めた。

 

入学当初から、4年生になったらキャプテンをやりたいと考えていた湯本は、主将投票の結果、高校に引き続き大学でもキャプテンを務めることになった。キャプテンになってからは、リーグ戦で中大が勝てない理由を、他大学の練習内容と比較しながら考えた。その結果、朝練を開始するほか、走り込みを行うことを決め、体力面の向上といった課題に取り組んでいった。

 

新チーム発足後、湯本は階級賞の獲得という個人目標を果たすために、必死に練習を積み重ねてきた。そして、1部リーグ5位以上というチーム目標のために、主将の責務を果たしてきた。しかし、関東大学リーグ戦の中止が決定。実は、一年生の頃に同期と「最後のリーグ戦は(同期)全員で一緒に出場したいね」と話し合っていたという。同期と語り合った夢をかなえることができず、「本当に悔しかった」(湯本)と率直な思いを述べた。

 

その後、湯本は11月に行われる全日本選手権に出場するために、新型コロナウイルス対策をしながら練習に励んでいた。しかし、7月31日に全日本選手権の中止が公表された。「今の状況を考えたら仕方ない」(湯本)。これにより、湯本はラストイヤーを戦うことなく、ボクシング部を引退することになった。

 

大学生活4年目は、リーグ戦、全日本選手権がともに中止という想定外かつ不本意なものとなってしまった。それでも、「中大に来て良かった」と語る。「先輩と同期に巡り合えたことが、一番良かった。だから、楽しかったし、練習が苦にならなかった」と振り返り、中大での競技生活に別れを告げた。

 

<湯本匠プロフィール>

なまえ:ゆもと・たくみ 

生年月日:平成10年5月30日生 

出身地:群馬県 

出身高校:伊勢崎工業高校 

身長・体重:170㌢・65㌔ 

趣味:音楽を聴くこと

 

記事・写真:吉岡大河