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中大出身Jリーグ監督特集第1弾-いわきFC監督 田村雄三氏 「常に学ぶ姿勢を大切に」

中大出身Jリーグ監督特集として、いわきFCの監督を務められている田村雄三氏(平17卒)へのインタビュー記事をお届けします。中大時代のエピソードや監督業のやりがいなど、普段なかなか知り得ない内容をお話しいただきました。

1月10日発行の「中大スポーツ」第181号では、企画面にインタビューダイジェスト版を掲載していますので、そちらもぜひご覧ください。

(聞き手、構成:琴寄永里加)

※取材は12月中旬にオンラインで行いました


紆余曲折を経た大学4年間
2001年から2004年にかけて中大に在籍した田村氏。苦しい時期も乗り越えた4年間には、先輩にあたる中村憲剛氏(平15卒)とのエピソードもあるそうです。

──中大に入学したきっかけは

僕のときはまだスポーツ推薦というものが地域のOB推薦というもので、推薦枠の10人が決まる感じでした。その条件が国体選手になっているとかで、大体夏ぐらいに決まるという話で、僕は実をいうと最初中大に入れなかったんです。国体選手に選ばれていなくて、高3の夏にスポーツ推薦の一枠を勝ち取ることができなかった。夏が終わったくらいの最後に国体のメンバーを絞るときに、国体の監督に呼ばれて選手になったけど、もうそのときには手続きをしても遅かったんです。ただ、(中大サッカー部入部者の)10人のうち1人が寮が汚くて嫌だというので入部を蹴って枠が空いたから、すぐに手続きをしろと言われて、手続きをしてなんとか入れたみたいな。だから、毎年サッカー部で1~10枠のランク付けがあると思いますが、自分は一番最後に入ったから10位だったと思います。

──どんな4年間だったか

1年生のときから試合に出させてもらって、そのときは関東リーグ1部でしたが、2部に落としてしまって、それが1年生のときの右も左もわからない、大学サッカーもよく分からないまま高校時代の貯金でそのままやった1年でした。そのような結果を1年生のときから突きつけられ、申し訳なく責任を感じて、2年生のときに1年で(1部に)復帰しなければいけない中で、最後の日大戦までかかったけど、1年で復帰しました。大学3年生、4年生と1部にいたけれども、2年間試合に出してもらって、1年生で降格を味わって2年生で昇格を味わって、3年生でやるときにもうお腹いっぱいになって燃え尽き症候群みたいになってしまっていました。その後監督に説教されて、もう一度やるという形でやったのが3、4年生かなと思います。

──2年終えた後の苦しい時期を振り返って

メンタル的にもうお腹いっぱいになってしまったんですよね。ずっと試合に出て、疲れてしまって。大学4年間は意外と長くて、中学高校の3年間のリズムに慣れてしまって、「あと2年もあるのかよ、長いな」と思っちゃったのが正直な気持ちだと思います。自分にとってはサッカーしかなかったし、そのときプロサッカー選手を目指すというのは恥ずかしいというか、中村憲剛(平15卒)と一緒にやっていたし、プロになるのは難しいなと思っていたので、そういうこともあってなったのかもしれないです。ただ、監督に説教されてから変わりました。親が行かせてくれた大学4年間だから、しっかり単位も取らなければならないし、サッカー生活もあと2年全うしようと思いました。監督と話しながら、もう2年しっかりやろうと、もう一度自分で帰ってきたという感じですかね。

──2年間一緒にプレーした中村憲剛氏とのエピソードは

今ではスーパースターですけど、仲良くさせてもらっていて大学のときいろいろな話をしました。奥さんがマネージャーさんだったんですけど、みんなに隠して付き合っていて、僕に言ったら一瞬で広まるので絶対にばれないようにされていました。ただ、休みで自分が寮から出ていたとき、憲剛さんは僕の原付の鍵の場所も分かっていたので、僕の原付を借りて彼女に会いに行っていました。それをよく聞いて、あとでむかついたので「何それ」とは言いましたね。(笑)

試合中の田村氏(写真提供=いわきFC)

 

「チーム関係者として大学サッカーに注目している」
大学サッカーを経験した身であるとともに、現在はJリーグクラブの監督として大学サッカーを見る側に立つなかで、現在の大学サッカーをどう見ているのでしょうか。

──現在の中大サッカーに対して思うこと

こういう風にやったらいいだろうなとか、もっとこういう風にできるのにとかはちょっと思いますが、中大は基本的にはその年の高校3年生のいい子の集まりで、今でも中大はいい選手が集まると思うので、どういう選手がいるんだろうというのを見てはいます。サッカー的にこうすればいいというのは、OBの僕が言うと波乱が起きるので何も言わないですけど(笑)、いい選手が揃っているし、僕たちが背負った金茶魂といわれているユニフォームがあるし、本当に後輩には頑張ってもらいたいという感じにはずっと思っていますね。

──現在の大学サッカー全体については

毎年多くのJリーガーが生まれて、昔より大学サッカーというものがすごく注目されているけど、すぐプロに通用する選手もいるし、J2からJ1にクラブと共に成長する選手もいるし、世界にはあまりない、日本の大学という位置付けのリーグをとても注目しています。外から見たら中途半端かもしれないですけど、4年間の大学でサッカーを勉強するという特殊な日本のシステムがいいなと思っているし、それをもっといいようにしてもらいたいなとも思っています。それぐらい、チーム関係者として大学サッカーに注目しているし、どういう選手がいるのかということにも常にアンテナを張って見ています。

プロを目指す4年生、大学生に助言するとしたら、自分たちのチームどうこう言うわけじゃないけれども、選ぶチームを間違えないということはすごく大事だと思っているかな。やはり試合に出て、試合に出られる環境、自分が成長できる環境で1年間プレーした選手と、大学の時に本当にナンバーワン、ナンバーツーでビッグクラブに行って、試合出なくてレンタルに出たその1年後は、差は縮まっているし、もしかしたら逆転しているし。そういう現象は、もう僕の代ぐらいから何人ものスーパースターがどんどん消えていくというのは見ているので。そこはもちろんビッグクラブからオファーがあるのは嬉しいと思う。でも、今これだけ日本サッカー界の事情も変わってきて、移籍もすごく頻繁に行われるようにもなったので、そんなに後々を考えるよりは、サッカー選手なんだから1週間に1回サッカーの試合をするということが本当に成長の1番の近道だと思うし、そういう環境に身を置くことがすごく大事だと思う。アドバイスみたいになるけど、自分でジャッジすることにしっかり責任を持って、間違えないようにしてもらえたらいいかなと思っています。