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山本哲央 4年間の感謝と世界への挑戦について思いを語る/インタビュー前編

年間通して最大の目標であるインカレが終わった。トラック大会では9種目中7種目での優勝と圧倒的強さを見せた中大。その中でも特に輝きを見せたのはエースの山本哲央(経4)だ。4年間の集大成となる戦いを終え、今後自転車競技界を背負う日本屈指の大器が、ロングインタビューに応じた。4年間共に戦った仲間たち、自転車競技の奥深さ、そして五輪、ツール・ド・フランスについて―。(聞き手、構成:辻市雄大)

▲インカレマディソン優勝後他大のライバルと握手を交わす山本(左)

 

「結構感慨深いものがあって、、、このまま引退するのは悲しい」

8月24日。集大成のインカレを終え2日後。インタビューを受ける山本は4年間の全てを振り返りながら淡々と言葉を紡ぐ。

中大自転車競技部に沢山の華々しい栄光を残した真のエース。常に目標は高くー。

「学生のタイトルと同じ世代のU23のタイトルは総舐めします」。ふと思い出すのは2020年2月の神宮クリテリウムロード大会での誓い。あれから握ったハンドルの数は容易に想像できまい。

ただ最後の最後に悔いを残してしまった。群馬CSCでのインカレロード大会。

「まだちょっと正直混乱していて、インカレの総合優勝を取れなかったっていうのがまだあまり実感しきれてなくて、まだふわふわしてるというか、現実として受け止めきれていないというのが正直な感想」

150㌔、コースを25周を走るレース、山本は3周目でその戦いを終えた。前方を走る選手の動きに対応できず起きた、接触による機材トラブル。やるせない敗北だった。

「悔いも残るような感じになってしまった。現実として受け止めきれない」

この雪辱は同じ舞台、来年のインカレでしか果たせない。後輩に託すしかない。

「ロード班としては長距離になればなるほど練習量を増やさないといけないので、練習量が少なかったのかなっていうのはある。意識は変えていって欲しい」

先輩からのアドバイスはシンプルなもの。しかしどれだけ自転車に乗ったかが成長の大部分を占める。それが自転車の競技特性だ。それを深く感じたのは山本が大学1年生の頃、日本代表の合宿に呼ばれた時だった。

▲マディソン後疲労で倒れ込む山本

「日本代表の合宿があってその時にかなり練習して、練習の仕方とか練習の量を見直す機会があってその時を境に強くなり始めた」

今期からブリヂストンに加入するなど、中大だけではなく多くの人との出会いが今の山本の『強さ』を形成する。

「食生活の意識の変え方とか練習の量とかも色々なことのレベルが高くなってきているので、レースの考え方だったりとかの変化が激しい」

常に変化を求める。ただその変化に対応する体の疲労はいかばかりか。

「結構疲れたりするんですけどそれが良い刺激になる。いっぱいいっぱいではあるんですけど楽しい」

大学の試合がある週には都内にある大学寮で過ごし、ブリヂストンの活動がある際はクラブハウスのある静岡に。ただその苦労を上回る価値がブリヂストンでの練習にはある。

「そんなに教えてくれるような甘い人たちではないので。自分からついていって、練習の中で練習の仕方を学ぶっていう機会は多い」

追えば追うほどに見えてくる理想の走り。確実な成長はプロツアーの5月大会での初勝利が示していた。「このままプロチームで勝ちを量産していきたい」。レース後語ったように間違いなく、今後プロの舞台で活躍できる確証が持てていた。

▲山本のプロ初勝利を取り上げた中大スポーツ165号の終面

憧れの先輩も山本の成長を近くで感じていた。「今年プロツアーで一勝しているっていうのは、彼自身にも自信になっている。ブリヂストンに入ってレースができるっていうのはプラスに働いている」。そう語るのは中大OBで現在ブリヂストンサイクルでも活躍する今村駿介氏。中大時代は共に4㌔チームパーシュートに出走し、学連新記録を更新。創部初のインカレ総合優勝に大きく貢献した。

「やっぱり今村さんの存在が大きくて。走力、スプリントとか学ぶことが多い」。2018年3月、山本は中大入学の決め手をこう語っていた。追うべき存在がいるからこそ、進むべき道は迷わない。山本が大学だけでなく、プロの舞台でも今村の後を追うようにブリヂストンに入ったのは、何か運命を感じさせる。

▲2019年インカレの4㌔チームパーシュートで優勝しウィニングランする左から青木、橋本、今村、山本

そんな山本が自転車に出会ったのは高校1年生の時。当時はレースでの勝利以外にも自転車を漕ぐことの楽しさを見出していた。

「やっぱり思ったより遠くに行けると自分の世界が広がるので」

当時の自分にメッセージを送るとしたら?そう問いかけると笑いながらこう答える。

「いやーもうちょっと練習しろよ(笑い)」

プロの舞台で多くのことを学んだからこそ、見えてきた今までの反省点。ストイックな山本は過去の自分にも厳しい。

「色々教えてあげたいなって。知ってることも増えてきたので色々教えてあげたい気はするかな。単純に乗る量が少なかったかなと。20歳までに伸ばせる領域があって、何も分からずに練習してたので、昔に戻れるんであれば(笑い)」

▲ロードで力走を見せる山本

ただ過去を振り返る度に溢れ出す感謝の言葉。多くの人の支えが山本のひと漕ぎひと漕ぎをつくる。集大成の戦いを終えた今、4年間で出会った全ての人を思う。

「推薦してくれた添田前監督には感謝してますし、大学2年生からインカレで優勝に導いてくれた高島監督には色々お世話になってとても感謝してます。先輩たちには練習の考え方を変えてくれた人や後輩の中にも自分を支えてくれた人がいっぱいいるので、もちろん最後にはやっぱり親には感謝してます」

山本の競技人生は決して一人で作り上げたものではない。だからこそ恩返しの意味でも叶えたい、叶えなければならない夢がある。

 

次回、後編では最大の目標であるパリ五輪やツール・ド・フランスへの挑戦と自身の自転車に対する思いに迫ります。

後編はこちら

インカレトラック大会の記事はこちら

山本とブリヂストンでも交流の深い今村駿介氏のインタビュー記事はこちら

「中大スポーツ」2021年9月号では1面、2面にて自転車競技部の活躍を掲載しております。この記事では触れていない山本の高校時代についても紹介しています。詳細はこちら